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『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

JIA@Yahoo!ニュース

Yahoo!ニュースに、髪の毛クルクルの僕が、スキンヘッドの松っちゃんと一緒に載ってる…

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何だか、呆然とする…

 

15年前、西尾雄志という先輩に誘われてこの活動を広東省潮州市リンホウ村で始めた。
14年前、リンホウ村に住むことを決めた時、西尾さんにもらった本がある。
中村哲の本だった。
その冒頭にこんなことが書いてあった、
「人と人との出逢いの連続が、私の人生を方向づけていった」。

 

その後、いろいろな人に出逢ってきた。
不思議なことに、節目、節目で誰かが現れ、その時まさに必要な言葉をくれる。

 

これまで、隔離村を開き、
地域の地域のハンセン病元隔離村で活動する組織をつくり、
この組織を政府登録し、
昨年はこの15年で初めて、資金運営の見通しが立ち始めた。

 

そんなころ、脈々と流れる人と人との出逢いの連続によって、Yahoo!の三宅さんに出逢った。
そして、この記事を書いて頂いた:https://news.yahoo.co.jp/feature/561

 

皆さん、これまで本当にどうもありがとうございました。
でも、これからも、相変わらず走っていきます。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

クラウドファンディングへのご協力をお願いします!

僕らは「ハンセン病」という領域で活動しています。
これまでに約2万人の人々がこの活動に参加してきました。
何が人々をこの活動に引きつけるのでしょう?

「ハンセン病は、『人間とは何か』ということを問いかけている病である。」

これは、知り合って15年になる友人が紹介してくれた言葉です。
「ハンセン病を学ぶためのブックガイド」(佐藤健太著)という冊子のサブ表題だそうです。

先日、福岡の大学生が3名、広東省仏山市高明区にある潭山村(ハンセン病快復村)でのワークキャンプに参加しました。
キャンプ後、いろいろと話す機会がありました。
3人はそれぞれ、昨年夏に引き続いて潭山村の村人との再会を果たし、一歩踏み込んだ関係を築きました。
そこから深く考えることが多くあり、あふれるように語ってくれました。
「こんなに語ることに貪欲になったことはない」。
昨夏はあまり想いを語らなかったそのうちのひとりが、そう満面の笑みを見せてくれました。

私たちは、高齢な村人たちに直接出逢うことのできる、最後の世代です。
いま彼らのことを記録しなければ、彼らの存在は、彼らの歴史は、「なかったこと」にされるでしょう。

僕が住んでいた広東省潮州市リンホウ村には2002年当時、14名が暮らしていました。
現在は、3名。

彼らの存在を、彼らと日中の若者の間に起こった出来事を、記録したい。
そして、次の世代につなげていきたい。
それを、こんな時代だからこそ、こんな日中両国関係だからこそ、日中の人々の手によって行いたい。

だから、JIAはクラウドファンディングを立ち上げました。
中国にあるハンセン病元隔離村の記録を書籍で残すためのクラウドファンディングです。

https://camp-fire.jp/projects/view/17937

 

皆さんに、このクラウドファンディングにご協力いただきたいと想っています。

まずはクラウドファンディングのサイトをご覧ください。
また、Facebookなどで拡散して頂ければ嬉しく想います。
どうぞよろしくお願い致します。

平塚ロータリークラブ

多くの寄付者は、NPOの行うプロジェクトについて、「目に見える成果」を期待する。

例えば、「◯◯さんの寄付により、どこどこに小学校が建ちました」というような。

ただ、こんな状況もある:「小学校は建ったが、そこで働く先生に給料を払えない」。

 

状況をよく調査しなければならないが、教育を必要とする子供たちのためになる支援は、もしかしたら、校舎を建てることではなく、先生に給料を支払うことかもしれない。

その場合の成果-先生の給料-は「目に見えない成果」だが、いちばん子供たちのためになるかもしれない。

 

平塚ロータリークラブは、そんな「目に見えない成果」のための寄付を行ってくれている。

2月5日から12日まで、JIA事務局職員とボランティアの中国人4名を日本に招待してくれた。

その間、僕らは日本で様々な活動を行わせて頂いた。

東日本大震災の被災地において、ワークキャンプという手法を使いながらまちづくりを行う団体の取り組みを見学。

東京にあるハンセン病国立療養所の歴史保存の取り組みを見学。

三田にてハンセン病快復村・快復者のドキュメンタリーの放映会を開催(当日の模様)。

平塚にて地元の大学生や高校生ボランティアと交流。

4名は多くの気づきや学び、「新たな動力を得た」と語っている。

 

多くの人にとって、中国から日本に来る人々のイメージといえば、買い物客かもしれない。

しかし、そうではない中国人もいるのだ。

 

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唐桑到着早々、海鮮丼に度肝を抜かれる。これで700円!

 

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まずは被災者の馬場国昭さんの話を聴く。

 

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国昭さんとすっかり仲良くなった。

 

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唐桑のまちづくりに取り組む地元の団体からくわ丸のメンバーと

 

平塚ロータリークラブは地元平塚のタウンニュースにまで連絡してくれた。

原田 燎太郎さん | 平塚 | タウンニュース

広東省与人公益基金会

さっき、与人(ユーレン)という広東省の財団にて、来年度のプロジェクトについて話し合いを持った。

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2017年度も支援していただけそうだ。

 

与人財団には2012年以来お世話になっている。

ロックフェラー兄弟財団の方向性変更に伴い、JIAへの支援が停止したその年、与人財団が支援してくれなかったら、今のJIAはなかったかも知れない。

 

2012年当時から、与人財団は、JIAへの支援を徐々に減らすという前提で支援してくれた。

その間、JIAでは2013-2015年には社会人個人、企業の支援を次第に得、2016年には活動OG/OBが寄付者(毎月の定額寄付)としてまた資金調達者(チャリティー山登り)として多数参画してくれ、さらにクラウドファンディングも始め、資金の柱が増えた。

この数年間は『男はつらいよ』の「タコ社長」のようだったが、振り返れば、与人財団がくれた執行猶予期間を相当に活かせた。

(皆さま、今後ともどうぞよろしくお願い致します…!)

 

今日は与人財団の初代事務局長の静蓮が財団への出勤の最終日。

想えば、JIA支援は与人財団にとっても、静蓮にとっても初めてのプロジェクトだった。

 

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静蓮(左から二番目)。初めて与人財団に支援して頂いたころ、与人の事務所で。

瀟太郎と僕

最近、息子の瀟太郎(しょうたろう)と仲良くなってきた。

瀟太郎には、僕自身の悪いところをそっくりそのまま見る。

何してもダラダラやったり、なかなか人と打ち解けられなかったり。

自分がした苦労を瀟太郎にさせたくないという想いから、僕は次第に瀟太郎に対して厳しくなっていった。

それは瀟太郎にとってもフラストレーションになっていたようだ。

 

そこでまた、例の自尊。

1月5日以来、「こういう自分もありではないか」と受け入れ始めている。

すると、瀟太郎のことも、「こういう瀟太郎もありではないか」と想い始めている。

そこから、瀟太郎と仲良くなってきた。

 

ここ2-3週間、瀟太郎はローラーブレードを始めた。

どんどんうまくなっていて、楽しくて仕方ないらしい。

暇さえあれば、「パパ、『ドーラーブレール』しよう!」と誘ってくれる。

食事のときは、「パパ、ここ、座って」と自分の隣に誘ってくれる。

なんだか、親子というよりは、友達みたいになってきた。

 

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ワークキャンプの本質

シャオヤオが2015年12月からJIAの事務局長を務めている。

彼女は医学生だった2005年1月、初めてワークキャンプに参加する。

2008年に卒業後、医学には進まず、JIAの事務局で働くことを選ぶ。

曰く、

「医者を目指していた私は、同じように人を救うのであれば、

医学に頼らなくてもいいのではないかと思うようになりました」。

『私がJIAで働く理由』

 

そのシャオヤオと僕は、実は、コミュニケーションがうまく行かないことが多い。

以前、僕は、それは「シャオヤオの問題」だと思っていた。

彼女は頭の回転が早く、口の回転はそれ以上に早く、鋭い。

まさに、カミソリ。

そんなシャオヤオに問い詰められると、僕は思考が停止し、蛇に睨まれた蛙のようになる。

 

しかし。

例の「自尊」(2017年2月27日のブログ)で考えると…

僕はそうやって自分の言いたいことを言えず、自分を押し殺し、低めている。

と同時に、それは、シャオヤオに対してもものすごい失礼なことであり、彼女を押し殺し、低めていることになる。

つまり、自分にとっても、シャオヤオにとっても、いいことはない。

 

そこで、僕は、今年1月5日以来、丹田に力をためて、シャオヤオに自分の想っていることを伝えるようにしている。

その後、二度ほど大きめのぶつかり合いがあった。

ただ、回を重ねる度にお互いへの理解が深まっていることを感じる。

(12年も一緒に活動していて、何を今さら…)と思う。

が、本当に、そうなのだ。

 

さっきは、シャオヤオとぶつかった後、宝物のような言葉がシャオヤオから出てきた。

「私が想うに、(それぞれの人が)『ちがう』ということこそが、ワークキャンプの本質。ぶつかり合い、そして、わかり合うこともまたワークキャンプの本質」。

 

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シャオヤオ(左)と幼いころのりんほう(僕の娘)

自尊

2017年の漢字は「信」にする。
もっと自分を信じ、周りを信じ、JIAを信じる。
自分を信じられないことには、家族を含んだ周りも、JIAという組織を信じることもできない。

…とは言ったものの、自分を信じることは難しい。
どうやったらいいのか?
具体的な方法を持たないまま、「信」の年が始まる。

そして、新年早々、1月5日のことだ。
大阪で、中田ひとみさんにあう。
そこから、自分が大きく変わっていく、いや、変わるというより、ある意味、目覚めていくのだろうか、解放されていくのだろうか、そんな感覚がある。

これまで生きてきた中で、今がいちばん、心がPeacefulだと想う。

 

ひとみさんとは、2003年4月、中国に移住して活動を開始する前夜に出あった。
その夜、僕はひとみさんに語った―広東省潮州市リンホウ村(ハンセン病快復村)に住み込んで、地元の大学生と共にワークキャンプ団体を設立したいと。
他の村の地元にある大学にもワークキャンプ団体を設立し、ハンセン病快復村支援ネットワークを中国につくりたいと。

それを聴いたひとみさんは、「青い」と僕に言った。
その翌日、僕は不安な気持ちを抱えながら、中国へと旅立つ。

それ以来、ひとみさんにはものすごくお世話になっている。
精神的にしんどい時に支えていただき、経済的に苦しいときには「投資」という形で支えていただき、報告会を関西で行う時はほとんど顔を出していただき、うまい日本酒をいただいたり、水虫の薬をいただいたり、…と、数え切れない。

今年1月5日、2年ぶりにひとみさんにあった。
駅の改札に立つひとみさんの姿が見える。

あった瞬間、なぜだか、涙が止まらなくなってしまう。
そのときまで気づいていなかったが、僕は、どうやら疲れていたようだ。

いろいろな話に耳を傾けてくれていたひとみさんは言う、
「JIAという組織をつくったことは、そして、中国人がその事務局長になったということは、それはあんたの最大の成果やで」。

しかし。
事務局長の交代はキレイな形ではなかった。
「事務局長はおまえに任せたぞ」とかっこよく交代したのではなく、「あんたが事務局長やっていたらJIAがダメになるから、もう、私がやる」と言われ、2015年12月、事務局長を中国人スタッフのシャオヤオと交代したのだった。
それが、僕の中で、ずっと引っかかっていた。

「あんたはそういうけどなぁ」とひとみさんは言う、
「『原田さんがいないと不安で…』なんて言われながら事務局長を交代するより、そんないきのいいリーダーが生まれるなんて、私からみたら羨ましいくらいやわ」。
それでも、僕は「いや…」とか言いながら首をかしげる。

と、ひとみさんは真顔で僕を見据え、言う、
「あんた、私への評価、低いやろ」。

「え…?」
そんなことはない。ひとみさんのことは大好きだし、尊敬している。評価が低いわけがない。

「でもな、私が『成果だ』と言ったことについて、あんたが『いや』と言うということは、あんたは自分を否定して低めているのと同時に、私のことも否定して低めているんやで」。

そして、ひとみさんはこんな概念を僕にくれた、
「あんた、『自尊感情』、低いやろ?」

自分を尊重する感情。

例えば、僕はリンホウ村の人たちのためなら、いろんな人にお願いして、いろんなことをする。
しかし、自分が助けを必要としている時、途端に誰にも何にも言えなくなる。
リンホウ村の村人の足の傷の手当はするのに、自分の足に傷ができ、同時にぎっくり腰になって手当ができなくなったとき、妻がその手当をするのを拒んだことがある。
それは妻を思い遣っているようで、実は妻を低め、自分も低めていることになる。

そう考えると、僕は、自分を押し殺しながら生きてきた部分が多いことに気づいた。
自分で自分を尊重していなかったのだ。

このとき、僕は初めて、「事務局長交代」ということをポジティブに受け止めることができたと想う。
このとき、僕は初めて、自分の頭を自分でなでながら、「おつかれさま。よくがんばったね」と言えたと想う。

そして、このときから、周りの人々に対する視野が開け始めたと想う。
今まで見えなかったこと、感じられなかったことが、見え、感じられ始めた。
未来も、また、夢見始めた気がする。