『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

「哲学」

これまで15年続いてきて、2万人が参加したJIAには何か価値があるはずだ。

しかし、それが、言語化されていない。

どうしても、言語化したい。

 

と想いながら本を読んでいたら、下の文章に巡りあった。

この言語化の過程は、自らの強みを理論化し、敷衍化していく知的戦い。

思想。

それは「哲学」だと先週土曜日には聞いた。

 

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JIAの「哲学」って何だろう。

おれの「哲学」って何だろう。

 

と想いながらニュースを読んでいたら、こんなのがあった。

「異質な者同士の出会いは、技術を飛躍させる上で欠かせない」。

「多様性のある場」。

このあたり、ものすごく近い気がする。

 

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広州のNGOの人々

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広州にもたくさんのNGOがある。

2011年より前は結構絡んでいたが、ここ数年、JIAのお金が足りないやら、マネジメントがやばいやらで、全然絡めていなかった。

その間、いろいろなことがあり過ぎた…

 

が、旧友劉韜の呼びかけで今日の会が実現した。

李鴻章がつくった会社の財団の人や、草の根NGOからディベロッパーの財団のプログラムオフィサーになった人、農業、教育、若者の育成、メディアなどなど、いろんな人が集まった…

なんだか、感動的だった。

彼らともしっかり繋がっていきたいなと強く思った…

 

こんな彼らと絡んでなかったのは、恐ろしいことだ。

余裕がないのは、罪だなと思った。

 

 

ドリアン助川

朝、憧れの釜飯を初めて食う。

いつもありがとうの意味を込め、真子と。

が、要は、広州でいつも食べている「煲仔饭」の油少ない版だった。

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明日は娘のりんほうの誕生日。

何をプレゼントしようかなと思案しながら高田馬場で下車し、大学まで歩く。

かつての古本屋はどうやらカレー屋かラーメン屋に変わってしまったようだ。

何件か残っていたので、ちょっと安心。

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今回はドリアン助川さんのお招きで、早稲田でイベント参加。

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それならば、早稲田グッズを娘にプレゼントしようかなと大学の炉ロゴの入ったマフラーを買う。

何となく、これでいいのかな…と思いつつ…

 

楽屋であうドリアンさんはものすごく落ち着いた人。

イベント開始前、リハーサル前後にいろいろと話す。

ドリアンさんとのトークでは、「なぜこの道を選んだのか」と「その後の葛藤」を話すように言われる。

ドリアンさん曰く、ハンセン病と同じようなことが福島で起こっている。

若者の自殺や老人の孤独死とも中国のハンセン病の活動は通じるのではないかと。

社会から弾かれた若者と定年退職後の老人との出逢いをつなぐ。

ドリアンさんと話していて、中国、ハンセン病、ボランティア、ワークキャンプ、JIA、という不思議な活動が、もしかしたら他へ応用できるのではないかと想い始める。

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大隈講堂には何か棲んでいるかも知れない。

 

イベントが始まる。

第一部はドリアンさんと僕が話すもの。

不思議に、ドリアンさんにいろいろと引き出される。

就活のネタとして初めて中国のハンセン病快復村を訪れたこと。

チンクワンさんの酒のこと。

尾骶骨の怒りのこと。

シャオジュンジュンのこと。

 

その後の朗読劇がすごかった。

ドリアンさんと中井貴恵さんがピクルスさんのギターを背景に語る。

 

2年前『あん』の小説と映画をDVDで見たときは、永瀬正敏と自分を重ねて見ていた。

今回はリンホウ村の人々と僕の関係を徳江さんと長瀬やあの女の子と重ねて見ていた。

そして、ずっと、ずっと、ずっと、泣いていた。

 

ドリアンさんと中井さんのあの魂の込め方は、ものすごかった。

これまで観た、どんな映画よりも、どんな舞台よりも、魂の叫びを感じた。

震撼した。

肚の底から感激した。

 

こんなに長い間泣いていたことは、これまでなかった。

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朗読劇直後、楽屋で、放心状態のドリアンさんを見た。

声をかけられないくらい、ドリアンさんは放心状態だった。

魂を出し切ってしまったような、全部出してしまったような、そんな感覚を受けた。

 

その後の打ち上げのときのドリアンさんがまたすごかった。

That'sエンターテイナー。

笑わすところで笑わし、紹介すべき人を紹介し、話させるべき人に話させ…

何とも温かい空気がその場を流れまくり、つながるべき人がつながるべくしてつながっていった。

僕もそうあろうと想った。

 

打ち上げの後、どうしてもドリアンさんが気になって、何を話すでもなく、彼の後ろに付いて歩く。

と、ドリアンさんは「あと30分飲める人、次行きましょう」と言ってくれる。

そこで4人くらい帰り、4人が残る。

なぜあの4人は帰ったのか全く不明 笑。

ドリアンさんと話したくないのかな 笑。

 

そこで、『あん』を英訳したアリソンさんとかなり話せる。

アリソンさん曰く、ヨーロッパ人はカラスを嫌ってきた。でもカラスはカラスで生きると。

フランスの移民排除でハンセン病に通じるものを感じたと。

そのあたりに、中国のハンセン病快復村での体験を応用できるかも知れない。

 

『あん』はいろんな出版社に出版を拒絶され続け、ポプラ社の野村さんにやっと出版してもらえたとか。

野村さん曰く、「大人の涙をたくさん見た。ドキュンと胸が跳ね上がる」。

ドリアンさんの提案もあり、もしかしたら野村さんが僕が書いた本を出版してくれるかもしれない。

 

こんな話を、明日は娘のりんほうにプレンゼントしようかなと想う。

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小牧義美講演会

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2006年、鹿児島のハンセン病療養所を退所して中国で社会復帰した小牧義美氏が今年米寿を迎える。

その頃、小牧は中国の学生と共にハンセン病快復村を周り活動した。

主に、ハンセン病の後遺症が元でできる足の裏の傷の手当てを行なって歩いた。

2007年、活動中、自身も足に怪我を負い、それが徐々に悪化し、足の切断のために鹿児島に戻る。

以来、糖尿病が悪化し、視力もほとんど失い、耳も遠くなった。

しかし、「燎太郎と村々を歩き回ったあの日々は最高じゃった」と振り返る小牧は、中国を忘れられない。

昨年、桂林の快復村に帰ってきた。

北京で講演会も行った。

 

その小牧が再び、中国に戻って来る。

今回は広州で講演会を行う。

阪本敦さんと再会

f:id:tynoon:20180205080912j:plain2010年以来、お世話になり続けている阪本敦さんをトヨタ産業技術記念館に訪ねました。

1時間の時間を取ってくださり、昨年一年間の近況や今後の展望をご報告することが出来ました。

JIAの今があるのは阪本さんのおかげです(さもなくばポシャっていました)。

阪本さんは広州にいらっしゃった時と同じように、うんうんと頷きながら耳を傾けて頂きました。

阪本さんは「新渡来人プロジェクト」を行い、海外に赴任していた人たちがその体験を日本人に語る場をつくっています。

そのときは必ず、自分の生い立ちを3分の1から4分の1語ってもらうようにしているとか。

そうでないと、聞いている人は「あー、すごいね」で終わってしまい、「自分ごと化」しない。

確かに、そうだ。ちょうどこの数日前にそんな間違いを犯した…

 

最後、阪本さんは「40歳を迎えるに当たって、何かデクレアーしてよ」と言う。

さてさて、何をデクレアーしようかな…

 

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職人

字を書く職人にあった。

アーティストではなく、職人だそうだ。

「今のテーマは?」と問われ、今年の漢字を伝えると書いてくれた。

中国の漢字でこう書いて「ちょん」と読む↓

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日本の漢字だとこうなる↓

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