『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

自尊

2017年の漢字は「信」にする。
もっと自分を信じ、周りを信じ、JIAを信じる。
自分を信じられないことには、家族を含んだ周りも、JIAという組織を信じることもできない。

…とは言ったものの、自分を信じることは難しい。
どうやったらいいのか?
具体的な方法を持たないまま、「信」の年が始まる。

そして、新年早々、1月5日のことだ。
大阪で、中田ひとみさんにあう。
そこから、自分が大きく変わっていく、いや、変わるというより、ある意味、目覚めていくのだろうか、解放されていくのだろうか、そんな感覚がある。

これまで生きてきた中で、今がいちばん、心がPeacefulだと想う。

 

ひとみさんとは、2003年4月、中国に移住して活動を開始する前夜に出あった。
その夜、僕はひとみさんに語った―広東省潮州市リンホウ村(ハンセン病快復村)に住み込んで、地元の大学生と共にワークキャンプ団体を設立したいと。
他の村の地元にある大学にもワークキャンプ団体を設立し、ハンセン病快復村支援ネットワークを中国につくりたいと。

それを聴いたひとみさんは、「青い」と僕に言った。
その翌日、僕は不安な気持ちを抱えながら、中国へと旅立つ。

それ以来、ひとみさんにはものすごくお世話になっている。
精神的にしんどい時に支えていただき、経済的に苦しいときには「投資」という形で支えていただき、報告会を関西で行う時はほとんど顔を出していただき、うまい日本酒をいただいたり、水虫の薬をいただいたり、…と、数え切れない。

今年1月5日、2年ぶりにひとみさんにあった。
駅の改札に立つひとみさんの姿が見える。

あった瞬間、なぜだか、涙が止まらなくなってしまう。
そのときまで気づいていなかったが、僕は、どうやら疲れていたようだ。

いろいろな話に耳を傾けてくれていたひとみさんは言う、
「JIAという組織をつくったことは、そして、中国人がその事務局長になったということは、それはあんたの最大の成果やで」。

しかし。
事務局長の交代はキレイな形ではなかった。
「事務局長はおまえに任せたぞ」とかっこよく交代したのではなく、「あんたが事務局長やっていたらJIAがダメになるから、もう、私がやる」と言われ、2015年12月、事務局長を中国人スタッフのシャオヤオと交代したのだった。
それが、僕の中で、ずっと引っかかっていた。

「あんたはそういうけどなぁ」とひとみさんは言う、
「『原田さんがいないと不安で…』なんて言われながら事務局長を交代するより、そんないきのいいリーダーが生まれるなんて、私からみたら羨ましいくらいやわ」。
それでも、僕は「いや…」とか言いながら首をかしげる。

と、ひとみさんは真顔で僕を見据え、言う、
「あんた、私への評価、低いやろ」。

「え…?」
そんなことはない。ひとみさんのことは大好きだし、尊敬している。評価が低いわけがない。

「でもな、私が『成果だ』と言ったことについて、あんたが『いや』と言うということは、あんたは自分を否定して低めているのと同時に、私のことも否定して低めているんやで」。

そして、ひとみさんはこんな概念を僕にくれた、
「あんた、『自尊感情』、低いやろ?」

自分を尊重する感情。

例えば、僕はリンホウ村の人たちのためなら、いろんな人にお願いして、いろんなことをする。
しかし、自分が助けを必要としている時、途端に誰にも何にも言えなくなる。
リンホウ村の村人の足の傷の手当はするのに、自分の足に傷ができ、同時にぎっくり腰になって手当ができなくなったとき、妻がその手当をするのを拒んだことがある。
それは妻を思い遣っているようで、実は妻を低め、自分も低めていることになる。

そう考えると、僕は、自分を押し殺しながら生きてきた部分が多いことに気づいた。
自分で自分を尊重していなかったのだ。

このとき、僕は初めて、「事務局長交代」ということをポジティブに受け止めることができたと想う。
このとき、僕は初めて、自分の頭を自分でなでながら、「おつかれさま。よくがんばったね」と言えたと想う。

そして、このときから、周りの人々に対する視野が開け始めたと想う。
今まで見えなかったこと、感じられなかったことが、見え、感じられ始めた。
未来も、また、夢見始めた気がする。

 

介護導入に成功した欧さん

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広東省清遠市ヤンカン村の欧さんは、快復村の介護について語る。
現在、ヤンカン村には介護士2名が常駐し、人件費は政府が負担している。
しかし、多くの他の村はそうは行かない。
なぜ、ヤンカンは可能なのか。

まず、ワークキャンプが来たこと。
昨夜の講演でも言っていたが、「夢にも思わなかった」。
外からの学生が村に住み込み、飲み食いを共にするなんて。

学生が定期的、持続的に活動すると、それによって村の知名度が上がる。
すると、地元の社会人ボランティア団体が動く。
「彼らはJIAと違ってメンバーの流動性が高いし、村に泊まらない。ただ、いろんな職業の人がいる。メディア、起業家、医師、弁護士。彼らと次第に仲良くなって行ったんだ」。
いま、欧さんのWechat(中国版ライン)には、約100名の有力な地元人が入っている。
メディアも村のことを報道してくれた。
こうなると、政府も欧さんを無視できなくなる。
ソーラー発電の温水器を入れ、村人は各自部屋で温水が使えるようになった。かつては車椅子の人も、村に1つしかないボイラーから魔法瓶2つにお湯を満たして部屋まで運んでいた。
医療保険にも入れた。
月末には健康診断も無料で受けられる。
「政府はもはや、おれたちをいじめることはできない」。
そう欧さんは笑う。

そして、介護導入となる。
毎年1月の最後の週は「ハンセン病週間」だ。
ふつう、副市長が「慰問」にやってくる。
が、ある年、市長がくることになった。
「この機会は逃せない」。
欧さんは最前列に陣取り、市長に介護の必要性を訴える。
「市長は村に長くて30分しかいない。その短時間で、簡潔に、真剣にニーズを説くんだ」。
いかに市長の心をつかむか、話す表情や言葉遣いにも気を配る。
市長はうんうんと大きくうなずきながら耳を傾ける。
そして、その場で「市長特別プロジェクト」として介護導入の予算をつけてくれた。
市長がくると聞いて、区長や衛生局責任者、衛生局の財務担当者など、手続きに関連する役人は全てそろっていたので、より速く実行に移された。

ある村では、介護導入の予算はついたが、村で介護をしたがる人がいないとか。
しかし、欧さんはそれも大きな問題にならないという。
現在10数名のヤンカン村に2人の介護士がいる。
1人で7-8名の村人をみればよい。
しかも、現時点ではすべての人が介護を必要としているわけではない。
「少なくとも現時点では、結構ラクな仕事だから、やりたい人は多い。近所のおばちゃんと立ち話した時も、『次に空きができたら、私にやらせて』って」。
清遠市で毎月3500元の収入が得られる仕事はなかなかないとか。
キチンと仕事内容と待遇を説明すれば、やりたい人が見つかる。

「ただ、村によって状況は違うぞ。例えば、80人もいる村で介護するなら、かなり大変だろうし、人数ももっと必要だ」。

欧さんのこの経験は、是非、他の村に伝えなければ。
社会人の週末の活動でできないかな…。

600人の前で活動の話を

12月6日に書いたイベントが昨夜、開催された。参加者は586の席に収まらず、立ち見が出るほどだった。

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いろいろと問題は多かったが、とにかく、欧さん(広東省清遠市ヤンカン村)の話を主催者の拙見と600人が聴いてくれたことは大きいかなと思う。

 

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問題というのは、

□12月6日にせっかく撮らせてもらった林さん(広東省仏山市ホンウェイ村)の映像が使われなかったこと(林さん、ごめんなさい…)

□オンライン寄付が観衆に呼び掛けられなかったこと(600人もいたのに…)

□対談で訊かれる質問を事前に教えてもらっていなかったこと(アドリブは相当苦手)

□OG/OB50人が準備した「私が活動を続ける理由」のパワポが表示されなかったこと(書きながらだんだん頭に来てきた)

□「JIAのための特別企画」と聴いていたが、JIAの部分は実際のところ15分か20分だった(全体では3時間以上あったのに…)

 

 他団体の開催する講演会にゲストスピーカーとして乗っかって話をさせてもらうのはこれまで何度もあったし、うまく行ったことの方が多い。

しかし、「共催」という形で、ここまで規模の大きなイベントをするのは初めてだった。

準備段階から当日まで、ずっと向こうのペースだった。

もっと対等な関係を築かねばと同僚にも叱られたが、ホントにそう思った…

 

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 ↑JIAのOG/OBが50名くらい駆けつけてくれた。

クリスマスで、かつ、日曜日の夜なのに…

ありがとう!!

 

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↑楊錦麟さんという香港フェニックステレビの司会者がこのイベントの主催者の顧問で、イベント上、JIAにコメントもくれた。

欧さん、「おー、あの楊さんですか!いつもテレビで観てます!ファンなんです!」と大興奮。

 

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↑イベントが終了したのは22時半だったが、そこから軽く飲むエネルギー。欧さん、「開心」(嬉しい)を連発。

 

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↑欧さん、今朝はJIAの職員と飲茶。

 

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↑そして、新幹線で帰って行った。

以前は、排気ガスモクモクの煤けたバスターミナルまで送って行ったものだ。

2016年、「蘇」

2016年も12月となりました。
今年、僕は「蘇」という漢字を個人的テーマとして生きてみました。
これまでを振り返り、自分の中にあったであろう様々な良い点を「よみがえらせる」という意味です。
 早寝早起きの習慣が戻りました(もはや夜更かしして仕事しても効率悪い上に、翌日使い物になりません)。

 家事を手伝う習慣が戻りました(子供のころ、よく兄弟4人で、茶碗洗い、すすぎ、拭き、しまいを分担したものです)。
 朝錬の習慣が戻りました(かつてはこっそりバスケの練習、今は小走りをしてます)。
 自宅での晩酌をやめました(特別なときを除き)。
 禁煙は続いてます(これは昨年の3月21日、偶然ですが母の誕生日からでした)。
 体重が65キロに戻りました(マックス70キロでした)。
 ブログを書く習慣はまだ戻っていませんが、すこーしだけ戻りつつある感じです。
 「そういえば長男だった」と気づき、一族大集結の旗振りをしました(普段は実家は平塚、妹は新潟、弟は神戸、僕は広州とバラバラです)。
 ご無沙汰していた祖母にあえました。
 仕事時間を全部記録・管理するようになりました(かつて自分の時間をいちばん管理していたのは浪人時代です)。
 中国に来たばかりで財布を盗まれて以来、財布を持っていませんでしたが、復活させました。
 そして、精神的な余裕と、未来のことを考える余裕を取り戻しました。

何だか、ここ数年にはありえない、充実した一年でした。
同僚や友人、家族、JIAを支えて頂いている皆様にに心から感謝致します…。

平塚ロータリークラブと村へ

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平塚ロータリークラブのメンバー5名と広州の学生3名が村に到着。

広州から2時間半の道のり。

 

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まずは村をぐるり一周して、村人にあいさつ。

その後、村人の甘さんのうちで鍋を囲む。

 

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鍋の後は村人の謝さんが白酒に(焼酎)を少し飲ませてくれた。

 

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夜は広州に戻り、JIAのOG/OBも交えて食事。

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クラブのメンバーの1人の話では、村での滞在時間は短く、僕がよく話す村人の「生き様」にまでは触れることができなかった。

ただ、学生やOG/OBからは感じたことがたくさんあった。

来年2月、平塚ロータリークラブはJIAの中国人職員とボランティア5名を平塚に招き、平塚の高校生との交流会を開催する。

 

「なぜボランティアをしようと想ったのか。そこから何を学んだのか。これから何をしていこうと想うのか。それらを、高校生たちに直接語ってほしい。高校生たちがどんな反応をするのか楽しみ」。

 

そんな言葉を残し、ロータリークラブのメンバーは日本に帰って行った。

 

 

 

 

平塚ロータリークラブ、来中

昨日、地元・平塚のロータリークラブのメンバー5名が広州に到着した。
JIAへの支援金を手渡し、JIAの活動地である中国のハンセン病快復村を訪れるためだ。

始まりは2014年5月29日。
同クラブの例会にて、活動を紹介する機会を頂いた。
内容は主に、2013年8-10月に深セン和僑会にお世話になって制作した「ドリームプランプレゼンテーション」(http://drepla.com/)のアップデート版。

その時はまさか、クラブの皆さんを広州にお迎えするとは思ってもみなかった。

2014年以来、平塚ロータリークラブは、中国に社会復帰したこともある鹿児島のハンセン病快復者の小牧義美さんや、
JIA取材をしてくださった毎日新聞の隅俊之さん、朝日新聞の高木智子さんに講演を依頼し、ハンセン病について勉強を重ねた。

そして今日、広東省仏山市高明区にある譚山村(ハンセン病快復村)を訪れる。
昨日のオリエンテーションでは、「ハンセン病快復者と活動参加者の間に相互成長がある」という点に共感を頂いた。
継続的な活動により、ハンセン病快復者は「自分自身への差別心」を減らして行き、
活動参加者は、ハンセン病と共に生きてきた快復者の生き様に打たれる。

   *

それにしても、昨夜はよく笑った 笑
オリエン後の食事会では、明日同行する中国の学生2名を含めて、笑い通しだった。
お父さんたちのエネルギーはすごい。