『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

初めてのハンセン病快復村

就職活動をほっぽりだして、僕は中国のハンセン病快復村・ヤンカン村でのワークキャンプに参加する。大学3年の2月だ。

新聞記者になりたかった僕は、志望動機蘭に書く:「記者になって、差別問題に取り組みたい」。昔いじめられたことがあった僕はふつうにそう思っていた。そこでふと、立ち止まる:「ところで、おれは差別しないのかな」。そんなわけで、このキャンプに参加することにする。

このキャンプはFIWC(フレンズ国際ワークキャンプ)関西委員会と韓国のピースキャンプの合同主催のキャンプで、中国史上第2回目のキャンプとなる。日本側リーダーはユ=ソンド(大学3年)、参加者は西尾雄志、吉沢さん、福田きよ子さん。その他の韓国と日本のメンバーは後から合流するらしい。

広州国際空港到着。車が多い。建物が大きい。HANDAの人ふたりがでかい車で迎えに来てくれる。ヤンカン村に向う途中の小さな町で買い物。路上で野菜を売っているおばさん。調子こいてバンバン買わせようとする。ほこりっぽい町。整然と区画整備されてる。爆竹バンバン。

ヤンカン村は1957年に設立された。当初300-400名が強制隔離収容された。ハンセン病の治療のためだという。

まったく整備されていない、土のでこぼこの山道を30分ほど上り下りするとヤンカン村に着く。村の入り口に男の人がひとり座っていた。後でわかったことだが、彼は立てないのだ。ソンドくん、西尾さんは車を降りて村の人と握手している。指がないように見えた。車から降りたおれは「ニーハオ」というのが精一杯だった。握手までしたら返って偽善的な気がした。

村のおばさんと飯をつくることになった。おばさんは字がかけないので、筆談もできない。やけくそで日本語で話した。身振り手振りでけっこう通じるものだ。何をつくるのかと訊かれ、手のひらに「炒飯」と書いたら、「あー、チャオハン!」とか言ってお互いに感激した。

夕飯後、西尾さんと欧さん(村人)と飲んだ。欧さんと筆談した:

原田:「我、原田僚太郎」。

欧:「我 欧鏡釗」。

西尾:「我 西尾雄志」。

欧:「日本有一位本多智子(女)她上次到来」。

原田:「汝好本多智子。她優女子」。

欧:「她能説漢語」。

原田:「本多智子話良中国語?汝欲言?我嬉共汝使漢字話」。

欧:「我們之間本来很多話要説、可是由于聴不倒你的話」。

原田:「汝好啤酒?我心深愛啤酒」。

欧:「我上次和她一斉出外購東西」。

原田:「野営食事?我不理解…?」。

欧:「進城市里買回来的」。

欧さんはおれを家に招いてくれた。写真や国際会議(?)の名札を見せてくれた。バナナもくれた。筆談で通じないところや、後から合流する本多智子さんに訳してもらうことにした。

帰ってきてソンドくんと飲んだ。

村に来て…

けっこうハンセン病の後遺症の重い人が多い。手がこわばっている人が多い。鉄の義足をつけている人、立てない人もいた。

はじめはこわいとか気持ち悪いとか言う気持ちがあったような、ないような、微妙な感じだった。夕飯をいっしょにつくるうちに(当たり前だが)村の人は(外見以外は)フツウの人とまったく変わりがないので、気にならなくなった。でも、欧さんが家に招待してくれたときはかなり戸惑った。バナナを食うときも。呼吸をするときも。写真を見るときも。うつらないってわかってるのに。でも欧さんは素朴でいいおじいさんだ。本多さんがくるのをとても楽しみにしていた。帰りに送ってくれた欧さんと別れ際に握手をした。かたい手だった。

キャンプの初日のミーティングで、下のような一枚の紙を渡される。

中国キャンプに参加するみなさんへ

昨年の第1回ヤンカンキャンプは、韓国のカンサンミン君の多大なる努力により、実現した。1984年韓国のライ定着村「相信農場」キャンプの時、韓国側のリーダーから「韓国国内での仕事も少なくなるこれからは韓国人、日本人ともに手をとりあって東南アジアにキャンプに行こう」という呼びかけがあった。以来17年、フィリピンでキャンプをしたりもしたが、日韓合同でのキャンプはカンサンミン君の中国のHANDAとの地道な関係づくりにより初めて実現したのだ。

昨年のキャンプは、ヤンカン村の人たちとの深い交情もあり、成功裡に終わった。今回はその関係をもっと深めてほしい。

私たちワークキャンプの方法は、「らいの差別をなくす」という「正義」からことを始めるのではなく、現地に足を運び、村人の要請するワーク(ひょっとしたら村人にとって有益でないこともあるかもしれない)をこなしながら、村人とコミュニケーションを図り、その1対1の個人的な関係の中から、新しい活動の方向性や、エネルギーを汲み取ろうというものだ。

中国人とか、中国のライ快復者とかいう抽象から入るのではなく、ヤンカン村の誰々さんという具体から入ろうというのだ。今回の参加者が一人でもいいから「ヤンカン村の誰々さん」を得て帰ってきてほしい。

そして、そこで得たのもを是非日本の人たちに知らせてほしい。そういう意味では日本を代表して参加するんだという自負を持ってもらいたいと思う。皆さんがしようとしていることはとても大切なことだという自信を持ってほしいと思う。報告会でのお話を期待しています。

参加できなくなった柳川義雄より

去年の第1回ヤンカン村キャンプに参加した柳川さんからのメッセージだ。読んでは見たものの、わかったような、わからないような感じだ。