『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

3日目

20020221

ついに来た。唐辛子・ニンニク排泄物に出口がやられた。ひりひりする。熱い。韓国に行ったことのある父の話はウソではなかった。

若い中国人がふたり来ている。誰かはわからない。ふたりは元気。大声でしゃべって笑っている。村人に囲まれてもなんでもない感じ。ファギュン(韓国のキャンパー)も度胸がる。中国人とガンガンしゃべってる。村人にも愛想を振りまき、次から次へと名前を訊いて握手している。

おれはひとり遠くから見ていた。

カン=サンミンさんがワーク資材を買いに行ったきり戻ってこないので、ワークをせずにみんな昼寝中。中庭のテーブルでファギュンがおばあちゃんにマニキュアを塗っていた。隣のおばあちゃんもその様子をいつものように笑顔で見ている。ファギュンはそのおばあちゃんにもマニキュアを塗ろうとする。おばあちゃんは笑顔で拒む。ファギュンは彼女の手に爪がほとんど残っていないことを知らないようだ。そのことを言いかけたが、やめた。おばあちゃんの笑顔にまったく曇りが見えないからだ。そのまま彼女は笑ってその場を離れた。

このおばあちゃんは偉大だ。好き。水道を使うのがかぶったとき、譲ってくれた。

明日は名前を訊こう。

昨夜はキム=ドンヨルとファギュンと夜中の1時まで飲んだ。ずいぶん飲んだ。今夜もビールと中国ブランデーだそうだ。

ワークはペンキの下塗りで終了。カン=サンミンさんらが帰ってくるのが遅くなったため。ソンソックは遅い昼飯をカン=サンミンさんらのためにつくった。えらい。食堂をのぞくと、欧さんも食べてた。うまいって感動してた。

ハンセン病のことをもう少し知りたくなり、福田きよ子さんに話を聴く。彼女は次のようなことを語る:

「村の人と自分との関係は、『ハンセン病の人と自分』ではなく、『誰々さんと自分』であって、たまたまその人がハンセン病だったというだけ」。

韓国側のリーダーのキム=ドンヨルは語る、

「最初はハンセン病の人を見て驚いたけど、ふつうのおじいちゃん、おばあちゃんだとわかって、それ以来はふつうに交流してる」。

韓国には兵役がある。兵役後は終了証明のワッペンを軍服に縫い付けるので、今彼が着ているのはもはや軍服ではないそうだ。辛かったが、学ぶところは多かったという。

ワークキャンプの方が精神的にしんどい。軍は肉体的に厳しい」。

ドンヨルは兵役を通して、親のありがたみがわかったという。あーせー、こーせーという親の言葉の受けと間方が変わったそうだ。親孝行はこれからだと語る。手を振る親を振り返らず、38度線に出征した。遠いところに、一年間ひとりでだ。ひさびさに帰ったとき、親に手を振らなかったことを親戚に指摘され、夜ベッドでひとり泣いた。

20-25歳といういちばん勉強できる時期を兵役で使ってしまうため、国力が低下すると彼は心配する。いい点としては、兵役前は酒飲んで遊んでいたが、人生について、どう生きていくかについて考えるようになったことだ。

ドンヨルは言う、

「志願制であったとしても、自分の子供には、女であれ男であれ『行って来い』という」。

勉強はしんどいが、軍隊の苦労を思えば余裕だと思える忍耐力がつくからだそうだ。

語り続けるドンヨルと、言葉もよくわからない日本人がなぜか一心に聴き続ける、ヘンな魅力がある。

そういえば今日の午後、イギリスのジャーナリストが来た。通訳を通してくだらない質問をして、1-2時間村にいて、写真を撮って、それだけで帰った。何がわかるのか。

「にどしょもみんじゅ?」

名前の聞き方はどうもこうらしい。片っ端から村人に聞いていく。台所のおばさんは「ちゅうかんじ」、白い毛糸の帽子のおじさんは「らうてゅんでゅ」、犬のおじさんは「りゃんりょうけ」、台所の横で水浴びをする義足のおじさんは「うぉんふぉーてぃん」と聞こえる。

年齢を感じた。眼の大きな子(キャンパー)に普通に敬語を使われた。たぶん4つくらい下の子。そういう年になったんだなと思った。

茶髪の、大阪の、…みつる君だったかな、彼はサングラスの韓国人にガンガンつっこむ。「(一気飲みで)お前、勝ったことないやん」とかなんとか。白い油性ペンキと赤い水性のを混ぜてピンクにしようとしていたときも、日本語で半分怒ってた。もともとの性格の問題やコトバの問題もあるかもしれないが、おれの接し方はどうなんだろう。

「社会をヨクしたい」とか、「差別や偏見を」とかいうのは妄想だ。こういうキャンプに参加する人もいるんだし、犯罪を犯すやつもいる。いつの時代も同じことだ。自分のことをやろう。自分が楽しめばいい。社会貢献したいやつはすればいい。金儲けたいやつはそうすればいい。

→いや、でもあがく?

“Was man nicht aufgibt, hat man nie veloren.”