差別は薄まる
楊坑村のランばあちゃんは、キャンパー宿舎の2つ隣の部屋に住んでいる。彼女の指は第1関節が萎縮し、左足はブリキの義足だ。
毎朝、部屋を出ると、たいていランばあちゃんはドアの前の木の椅子に座っている。
「ゾウサン(おはよう)!」
あいさつすると、喋ることができないランばあちゃんはニコニコの笑顔を返してくれる。これが長年虐げられてきた人が見せる笑顔なのか。そんなランばあちゃんに尊敬の念を抱いた。
帰国後、楊坑村での生活について聴いた友人は率直にこう語った、
「『ハンセン病=気持ち悪い、恐い、悲しい』。正直、今もその気持ちはなくならない。でも、触れたくもない、会いたくもない存在だったけど、笑顔のおばあちゃん(ランばあちゃんのこと)には会ってみたいと思ったし、偏見の目だけでなく、優しい気持ちになれそうな気がする」。
私も差別意識を完全には克服できないかもしれない。村人と普通に接していても、ふと、後遺症が気になっている自分に気づく。しかし、私はランばあちゃんが好きだ。差別意識がゼロにならないとしても、時とともに確実に薄まる。