『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

蘇文秀村長との筆談

13:07

村長「おまえさん方、村の誰もついていかずに古巷にいったろ。心配だった」。

方「おまえさんたちは毎朝郭聯浩と一緒に水くみをしている。えらいなあ」。

原田「ただついて歩いてるだけですけどね」。

20:00前

原田「村長はいつも何時ごろ寝るんですか」。

村長「20時から21時の間だな。決まってない。話したいことがあれば22時から23時くらいまでいいぞ」。

原田「ぼくは大学で公共政策を勉強しています。日本のハンセン病政策です。日本政府は1907年から1996年まで隔離政策をとってきました。中国の状況はどうですか」。

村長「中国政府は1957年からだ」。

原田「誰が決定した政策ですか。毛沢東ですか」。

村長「そうだ」。

原田「日本には『らい予防法』という法律がありました。政府がこの法律を廃止したのは1996年のことです。中国にもこのような法律がありますか」。

村長「中国の法律は2000年に感染しないと発表した。治癒する病気で、問題ないと」。

原田「1943年ハンセン病の特効薬プロミンが開発されました。しかし、日本政府は隔離政策を続けました。この政策は許せません。人権侵害以外のなにものでもありません。村長はプロミンを飲みましたか」。

村長「現在この村の13人はみな治癒しており、飲まない。他に何かききたいことはないか」。

原田「村長はいつここに来たんですか」。

村長「1942年だ。そのころは戦争中で、当時おれは11歳だった。現在は74歳だ。年をとった、1979年に右足を切断し、左手は不自由になった」。

原田「いつ読み書きを勉強したんですか」。

村長「小学校3年のとき、家に金がなかったので学校にいくのをやめた」。

村長「明日は3・4人の学生が来るぞ。彼らは自分で何か持ってくるから、おまえさん方はカネを使わずにすむぞ」。

原田「中国人の学生が来るんですか」。

村長「翻訳をしてくれるそうな」。

原田「西尾雄志という友達も11日にきますよ」。

原田「みなさんは文化大革命のときたいへんでしたか」。

村長「我々はこの村で治療中だったので、参加しなかった。幾人かはつるし上げられた」。

原田「現在、毎月120元で生活しているんですよね」。

村長「60元は節日―春節中秋節清明節など―に備えて積みたてている」。

原田「国家が支援金を増額するという話しはないんですか。日本には全国療養所入所者協会というのがあり、生活環境の改善などを国家に訴えてきました。中国にはないんですか」。

村長「ないな」。

原田「国家がそういった組織をつくることを禁じているんですか」。

村長「知らないな。我々の生活費は民生局が発給している。日本と同じではない」。

原田「中国のハンセン病快復者も団結して生活の向上を要求したらどうですか。その上で心配なのが言葉の壁です。みなさんは潮州語を話されますが、楊坑村では広東語が話されています。言葉の壁は団結をむずかしくします。そこで、ぼくは普通語と英語を話せる中国人の学生たちが全土の快復者をつなぐ媒介となることを考えています。朱君もその1人となれるかもしれません」。

村長「ここ潮州のハンセン病快復者13人は要求したことがある。しかし、政府は何の対策も講じなかった。おまえさんは普通話をまなべ。潮州一帯のものはだいたい普通話を話すから。国家は普通話を学ぶことを奨励しているんだ」。

原田「そろそろこの辺で。タバコ吸いますか」。

村長「年をとった。たくさん吸っても意味がない」。