蘇文秀村長との筆談
原田「ぼくの名前の『僚』という字は『燎原の炎』に由来しているんですよ。激しい名前ですよね」。
村長「『燎』という字はよくないな。『僚』はいい字だ。たしか同じような名前の日本の首相がいたな。おれは新聞を読むのが大好きなんだ。寝るときに読むんだ。劉友南や方紹平も少し読んでるぞ。なんていう名前だったかな…。以前田中角栄ってのもいたな」。
原田「橋本龍太郎ですか」。
村長「そんな感じだったかな。いまの首相は小…」。
原田「小泉純一郎です」。
村長「あぁ、そうだった」。
原田「ぼくは村長を尊敬してます。聡明で、村人もみな慕っています。いつもたくさんの村人がきて、談笑してますね。本当のおじいちゃんみたいに感じます」。
村長「それはいいすぎだ」。
原田「村長と知り合えてよかったと思います」。
村長「我々は同じ国の人間であるかのようだ。おまえさんの良心がとても好きだ。友人だ。ただし、おれに残された時間はわずかだ。西に沈んでいく夕日のような人間だ。まもなく沈む夕日だ。おまえさんの前途に光明あれ」。
村長「郭がいってることは意味がなく、言いたいことをすぐに言うんだ」。
原田「郭さんがいってることを詳しくしりたいです」。
村長「かれは『陳宏広は死んだ。本来16人いたのに、3人死んだ』といっている。『兄の子供―彼の甥―は記者だ』といっている」。
原田「彼の甥はここにきたりするんですか」。
村長「春節のときにきた」。
原田「郭さんの親戚は兄と甥だけですか」。
村長「兄が4人いて、出稼ぎで商売をしている。おれの両親はもうなく、2人弟がいて、甥が6人いる。出稼ぎで生活している。彼の父母は存命中おれが郭を世話し、彼の金を管理するよう頼んだ(?)。郭はちょっと家をみてくるそうだ。盗まれることを恐れてるらしい。頭悪いな」。
原田「ぼくはそうは思いません。彼はいい人です」。
村長「(方さんについて)いつもと違う。身体の調子がわるい。眠くならないのだそうだ。今日、古巷で点滴を打ってきたそうだ。やせたなあ。68歳だ」。
原田「陳志強先生から聞いたんですが、彼は目を病んでいるそうですね」。
原田(『麻風病普査登記表』と書かれた書類を見ていると)
村長「全国調査を行ったときのものだ」。
原田「全人民を調査して、そのうちのハンセン病の人を隔離したんですか」。
村長「そうだ。ハンセン病の者は隔離され、この村で生活した。労力があるものは労働をした。一軒ずつ調査され、300人が病型にしたがって分類された」。
原田「…はじめに悲しい歴史…、次に友愛の重要性をわかってもらいたい」。
村長「現在、中国はハンセン病は基本的に消滅したと宣言した。発病したらすぐに治療し、隔離されることもない」。
村長「おれは長年簡体字を使ってきた。繁体字は少し覚えているだけだ。小学校3年のとき、日中戦争のときだ。勉強することができなくなって、出稼ぎ生活に入った」。