『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

師範学院によるリンホウ支援

リンホウでカルチャーショックを受けた韓山師範学院の学生たちは、本格的にリンホウの支援に乗り出そうとしている。その準備は着々と進んでいる。キャンプ中のフリーデーには大学を訪れ、「外青隊」(「外語系青年志願者服務隊」という英語をボランティアで教えるサークル)に属する学生にリンホウ村やワークキャンプについて話し、村でのパーティーに誘った。パーティーには16人の学生が訪れ、3グループに分かれて村人を訪問した。

キャンプ終盤には、リンホウ支援に積極的な4人の学生と集まり、村での活動の方向について考えた。その夕方には外国語学部の学部長を交えた会議をもち、学部長の協力を得たリンホウ支援活動ができることになった。

フリーデー=ミーティング@「外青隊」

今日は2月26日、フリーデーだ。韓山師範学院に行き、リンホウ村とワークキャンプの話をする。英語をボランティアで教える団体「外青隊」とのちょっとしたミーティングだ。

11時ごろ大学につき、とりあえず昼ご飯を食べる。

「ビール、飲もっか…!」

私たちは気持ちよく酔う。ローリーが一気飲みを始める。ちょっと飲みすぎたか。

「そろそろ、ミーティングをする教室に行こうか」。

マークに言われ、彼の後についていく。

階段を上がり、廊下を歩いていくと、たくさん学生がいる教室がある。

(ここじゃないべ…)。

「ここだよ」。

マークは言う。「外青隊」の学生は40人はいるか。…ここまできたらやるしかない。幸か不幸か酒が入っている。ジルとレオも助けてくれるだろう。

私がしゃべったのは、ワークキャンプハンセン病、リンホウ村の状況について、またワークキャンプに参加した動機、初めてハンセン病経験者と会ったときの驚き(FIWC関西委員会主催2002年2月ヤンカン村ワークキャンプ報告参照)、またキャンプ中に村で生活するうち村人と仲良くなっていく過程についてだ。ジルとレオの助けで、私の言いたいことは何とか学生たちに伝わった。他のキャンパーは1人ずつ自己紹介とキャンプでの感想を語る。最後に、3月2日のパーティーに「外青隊」のメンバーを誘った。

パーティー@リンホウ村

3月1日、パーティーの前日。亮輔と私はパーティーの段取りをする。

「学生たちは朝9時に来るはずだから、リンホウ医院で学生たちを向かえて、まずそこでハンセン病について説明しよう。隔離のことや、はじめてハンセン病経験者に会ったときの驚き、村の状況なんかを話そう。そうすれば学生たちは心の準備ができて、みんなの村訪問が効果的になるよ」。

「そして、歩きながらワークキャンプでつくったものを説明して、村に着くと同時に、今回のワーク・長屋Bの建て替えの現場を見る」。

「そのあと、学生たちをいくつかのグループに分けて村人を訪問しよう」。

しかし。2日のパーティー当日、学生たちは8時ごろ、いきなり村に現れる。亮輔と私は混乱する。料理をつくる他のキャンパーたちはあわてる。結局、ハンセン病ワークキャンプについての説明は、村ですることになってしまった。

段取り通りには進まないが、それでも、みんなよく聴いてくれる。村人訪問もうまく行く。彼らの反応・感想をここで紹介したい。

・ピーター

ピーターは驚いた。老朽化した家、擦りきれた服、薪を使っての料理、電話がないこと―。

 「今は21世紀だぜ!?」

 そう語るピーターは、それでもハンセン病を恐れないと言う。

 「ハンセン病についての正確な知識がおれにはあるからね」。

・ジョアン

中国美人系のジョアンは、正直な気持ちを伝えてくれた。

 「私は始め、村に行くことをバカにしていたの。テレビでハンセン病のことを少しだけ知っていたから、興味本位で村に来てみたのよ」。

 しかし、そんな彼女にも村人はとても親切にしてくれる。特に日本のキャンパーと村人が仲良くしている姿を見て、ジョアンは「自分に欠けているものに気づいた」と語る。

 「先生になったら生徒たちに教えたいの、どのようにしたら人に気遣いを示すことができるのかを」。

・チーホン

村長が入れてくれたお茶を飲みながら、チーホンは方さんと大げさな身振りで話す。笑いが絶えない。

 ところが、後遺症が重い村人のところにいくと、黙ってしまう。歩けない許さんや蘇さんの部屋に行くと、彼らの部屋をグルリと見まわす。身体が不自由で掃除が出来ない彼らの部屋は荒れている。チーホンの声から張りが消えた。

 「中国は経済成長を重視していて、福祉は忘れられている。アジア人は年取った人を大切にするはずなのに…」。

・ナンシー

村人訪問の後は昼食パーティーを開く。村人は出席を頑なに拒んだので、中国の学生と日本のキャンパーとで昼ご飯を食べる。このパーティーの場でナンシーは言う、

 「村人のために何ができるの?!ガスを買おうか。洗濯機を買おうか。薬は足りてるの?卒業生の蚊帳と布団を寄付しようか?」

 何がっていきなり言われても…。ガスは維持管理にお金がかかる。洗濯機は高すぎるだろう。薬は一応リンホウ医院が出している。私は、また次の機会に話そうとごまかす。

 「いつ!?」

 ナンシーは眉間にシワを寄せて私に詰め寄る。3月7日に話し合いを持つことにした。

ミーティング@台湾レストラン

3月7日、師範学院の学生代表のナンシーが外国語学部の邱学部長とのミーティングを準備してくれた。その前に、リンホウ支援に積極的な4人の中枢メンバー―マーク、ジル、ラッキー、ローリー―と活動の方向性を打ち合わせておく。

 ジルは言う、

 「学部長が特に村に関心があるみたい。彼は月に1回村を支援する計画を立ててるよ。活動の定期性を確保するためにも、村を支援する新団体を立ち上げたいの。ただ、設立するには学部長の許可が要るの。大学が絡むと、村での活動中の事故に対する責任を誰がとるかとか難しい問題が出てくると思う…」。

 きた、きた。リンホウの支援団体を立ち上げるという学生がついに現れた。ただ中国ではサークル1つ創るにも大変な手続きが必要らしい。学部長の協力が欠かせない。

活動の内容はどうしようと考えているのか。

 「基本的なことは村人と話し合って決めよう。ボクがやりたいのは新聞を寄付することや、潮州オペラを村でやるとか、読み書きを教えるとかだな。村人に生きがいを持ってもらいたいんだ」。

 マークはそう言う。

彼ら4人は、リンホウ村のこと、ハンセン病のことを社会に知らせる必要性を感じている。パンフレットを作成し、大学の新聞や学内放送でリンホウ村のことをみんなに知ってもらうようにする。その後で村での活動内容をさらにつめることにした。

 活動資金についてはどうか。

 「大学に資金を出してもらえないかな。企業訪問して寄付をもらうのもいいね」。

 他にも、師範学院以外の大学との連携についても話し合う。

 「窯業学校や農業学校がリンホウの近くにある。師範学院の分校もあるから、彼らをこの活動に巻き込みたいね」。

   *

ところで、何でこの活動に4人は入れ込みだしたのだろうか。ローリーは言う、

「助けを必要としている人たちがいる。おれは学生だから時間があるし、何かをしたいと思ってる」。

次にマークがくれた手紙の内容とほぼ同じことを話す。それを受けてラッキーは言う、

「高い山の頂上に立って叫べば、こだまするじゃん。去年の11月キャンプに参加したマークの声に答えたのがおれなんだ。こういった(リンホウ支援のような)動きは大好きなんだ。ところでリョータは何でこの活動をしてるの」。

「おれは昔いじめられたことがあるんだ。だから差別を憎んでるだよね。でも、同時に『おれは差別しないのか』っていう疑問があった。そんなこともあって2002年2月、ヤンカン村っていうハンセン病快復村でのワークキャンプに参加してみたんだ。

やっぱり、おれは差別した。ハンセン病の後遺症に驚いて、握手できなかったんだ。でも、村で生活するうち、だんだん村人と仲良くなった。差別心は、ある程度の時間をいっしょに過ごせば減ると思う。ワークキャンプではいろんな人と出会って、自分の考え方や感じ方が変わる。だから好きなんだ。

あとね、そのヤンカン村に1人のおばあちゃんがいて、彼女がすごくいい顔で笑うんだ。彼女はハンセン病を病み、社会や家族から差別され、村で何十年も暮らしている。そんな彼女が何であの笑顔で笑えるのか。その謎を解きたいんだ。亮輔は?」。

「おれは高校時代、世界に失望してた。絶望ばかりで希望がなく、悪いニュースであふれている。そんなとき、文化祭実行委員会の委員長をやった。それが大成功したんだ。そのとき思った、もしかしたらおれのリーダーシップで世界を変えられるかもしれない。そしてアメリカに留学した。でも、そこでおれはアメリカの資本主義に失望したんだ。今は下から活動して世界を変えていきたいと思ってる。だからこの活動をしてるんだ」。

 ジルは語る、

「私は10代のころから人生の意味を探してる。1人では何もできない。お金は幸福をもたらさない。答えが見つからなかった。そんなとき、初めて村に行き、村人と出会ったの。村を去るとき、何かを感じたんだ。満足感…じゃないな、まだわからないけど、この気持ちが私にこの活動をさせてる」。

このおしゃべりをすべてここに書くことはできない。この時間を共有し、私たちは強くつながった。妙な一体感が6人に生まれる。台湾レストランで私たちは手を合わせ、支援団体設立を誓い、学部長との会議へと向かった。

ちょっとクサイけど、事実です。

ミーティング@師範学院職員室

16時半、師範学院の職員室で邱学部長、学生、キャンパーがミーティングを開く。

中平さんの話で会議を始める、

ハンセン病快復者を支援する国際NGOの『IDEA』の日本支部のコーディネーター・森元美代治さんには昨年からワークキャンプに参加するよう誘われていました。今回参加してみましたが、優しい学生を見たのは初めてです。本や森元さんの話で聴いてはいましたが、実際に出会うことができて嬉しく思います。

ハンセン病は消滅しつつありますが、後遺症の問題は残ります。私は看護士の資格を活かして活動したいと思います。

リンホウ村には、眼の見えない人、指・足がない人、ケガがあるまま歩いている人がいます。傷の手当てがうまくいっておらず、いつまでも治りません。そのことを、村人は理解していないようです。彼らを支援するマンパワーの必要性を認識しました。私たちが何をできるのかを、みんなで、この場で考えていきましょう」。

学部長は言う、

「みなさんは遠路はるばる中国まで来てくださった。この活動に協力するのは私たちの義務です」。

このミーティングでは、以下のことが決まった;

(1) 高度な医療設備のある病院に村人が通院・入院できるシステムをつくること

(2) 活動の定期性を確保するため、師範学院内にリンホウ村支援団体を設立すること

(3) 活動資金は、師範学院の学生や企業からの寄付で賄うこと

(4) この活動のPRに力を入れ、多くの学生が参加できるようにすること

 学部長は言う、

「この活動はとても意義深い。協力していきますよ」。

ただこの活動を成功させるためには、リンホウ医院の院長の協力が欠かせない。これまで私は、村人の生活・医療環境の改善に興味をもっていないように見えたリンホウ医院に批判的だった。しかし、敵をつくっても仕方がない。医院を協賛者としてこの活動に取り込もう。この活動が大きくなればなるほど、社会はリンホウ村に注目する。社会の関心を引けば引くほど、協賛者としてのリンホウ医院は村人の生活・医療改善を考えざるを得なくなるだろう。

「じゃあ、今から院長に電話して協力をお願いしましょう」。

学部長はその場で院長に電話する。

   *

話がまとまると、もう18時半を過ぎていた。6階の職員室を出ると、そこには潮州の街の夜景が広がる。日が落ちた空の向こうは灰水色から夕日色にグラデーションしている。韓江沿いの城壁は電球色にライトアップされ、それがかすかに河面に映る。階段を下りていくみんなの声を聞きながら、ひとり、夜景に見入る。