おわりに
「無用人」。
蘇文秀リンホウ村村長は自らをこう呼ぶ。リンホウの人々はハンセン病と共に生きてきた。特効薬のない時代、彼らは自らの身体が病に冒されていくのを見た。社会が、そして家族が自分を差別し、隔離するのを見てきた。隔離村では長時間労働と空腹を強いられた。そんな過酷な経験が村長に「無用人」と言わせているのだろう。
しかし。ハンセン病を闘い抜いてきたという経験は、私たちにとって、差別の対象ではない。尊敬すべき偉業だ。ハンセン病専門医・小笠原登はこう語った、
「人間の美醜は身体に存するものではなく、内面においてのみ存するものだ」。
長年隔離されて来た村・リンホウには今、多くの人々が行き来する。日中のキャンパーがワークキャンプをする。建設業者がくる。村外の人々が訪れる。村を定期的に支援する団体が韓山師範学院に設立されつつある。これらの人々を引きつけているのは、村人自身だ。
リンホウの人たちにビリビリっときた私は2003年4月から、FIWC関東委員会中国駐在員兼HANDAのタダ働きスタッフとしてリンホウに駐在する。目的は、リンホウ村支援団体を韓山師範学院内に設立することだ。
現在、中国には600~800の快復村があるといわれている。リンホウ村支援団体の基礎が固まったあとは、中国のハンセン病快復村を支援する学生のネットワークをつくりたい。各村の地元にある大学内に快復村支援団体をつくり、支援活動を行ってもらう。定期的に代表者が集まる会議を開きたい。このネットワークを通して、たくさんの村人たちが、「無用人」という言葉が自分たちには当てはまらないことを知るかもしれない。