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『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

「何でワークキャンプに参加するんだい?」

朝8時半、黄院長がリンホウ医院に来た。私が院長室でパソコンをいじっていると、彼が入って来る。

「何でワークキャンプに参加したんだい?」

院長が筆談してくることは珍しい。私はキャンプに参加しようと思った経緯を書いていく。かなり時間がかかったが、院長は私のペン先をずっと追ってくれる。次のようなことを書いた。

私がハンセン病関係のワークキャンプに初めて参加したのは2002年2月、就職活動真っ盛りのときのことだ。FIWC関西委員会主催が主催する楊坑村(ハンセン病村)でのキャンプだ。参加した理由は、就職する前に自分自身の中にも差別意識があるのかを確かめたかったからだ。

そんな自虐的なことをしたわけは、幼い頃の経験による。私は小学校の頃イジメられたので、差別というものを憎んでいる。新聞記者になって、差別問題に取り組みたいと思った。2002年1月、私は某新聞社の志望書の志望動機欄にこう書いた:「差別をなくしたい」。

そのとき、ふと思った、

「おれは差別しないのか?」

この疑問を抱いて以来、就職活動とキャンプとどちらを優先するか悩み始めた。そして2002年2月、楊坑村のワークキャンプに行くことにした。

私は差別者だった。楊坑村の人々に初めて会ったとき、私は「ニーハオ」と言うのが精一杯だった。ハンセン病の治療が適切になされなかったため、彼らの顔や手足は変形している。私は驚き、恐れ、握手することはできなかった。

しかし、キャンプ期間中の10日間、村人と一緒に過ごすうち、彼らは普通のおじいちゃん、おばあちゃんであることに気づいた。いや、普通どころか、尊敬に値する人々であることに気づいた。有効な治療法がない時代にハンセン病を病んだ彼らは、身体が変形した。家族さえも彼らを差別した。にも関わらず、彼らはあんなにいい笑顔を見せる。なぜだろう。日々、自分が悩む問題は、ほんの些細なことに思えてきた。

彼らとの出会いが、私を変えた。彼らのことをもっと知りたい。彼らの生き方から何かを吸収したい。そんな想いが、私をワークキャンプに参加させている。

医院の職員も差別されてるんだ

しっかり読んでいてくれた院長は次のように書いていく、

「そうか。でも、差別をなくすのは容易なことではないぞ。特に、中国が『改革開放』政策を取って以来、人々の貧富の格差はどんどん拡大している。私たちはここリンホウで仕事しているだけでなく、県の衛生局で会議を開き、社会の支援を求めている。それでもまだ我々医院の職員でさえ、差別されることがあるんだ」。

「日本や地元潮州市から学生たちがリンホウに来て、テレビが取材して以来、差別は少なくなったなんてことはありませんかね?」

「この広い社会において、キミたちや師範学院の学生、潮州のテレビのように熱心に取り組む人はまだあまりいない。差別する人は少なくない」。

まだまだ、差別問題の先は長いようだ。

村に住むのはダメだ

「ここでの生活はどうだい?」

そう尋ねる院長。いい機会なので、彼に頼んでみる、

「村はやっぱりいいですね。村人と一緒に住ませてください。ここ院長室に泊まるのは気が引けてなりません」。

「遠慮するな。職員2人が定年退職して部屋が空くんだから。村は地形が複雑で、ここのように周囲を囲う壁もないし、外の人間が来ることも多い。何か危険なことが怒るのを恐れている。医院に住みなさい」。

「でも、村に住みたいんです。村人がいるから危険なこともないと思います」。

「危険じゃないと思うことが危険だ。遠く日本から来てくれたことをとても感謝している。キミの安全を守ることは我々の重大な責任なんだ。村は以前、ものがよく盗まれた。村人が見張っていると言っても、彼らは年を取っているから無理だ」。

やっぱり、ダメか…。

ケンカはしていないのかな?

カンペイちゃんが長屋Aを去ったことは以前に書いた。彼と筆談する機会があったので、なぜ長屋Aから引っ越したのかを訊いてみる。

「涼しいからこの部屋にしたんじゃ」。

確かにこの部屋にはとてもいい風が吹いてくる。

「でも、3月は長屋Aで寝てましたよね?」

「冬はあの長屋を使うんじゃ」。

他の村人と何か問題があることは一切触れなかった。カンペイちゃんはホントに誰かと問題があるのか。チァロン(マーク)が大袈裟なだけではないだろうか。