許さんの病気
まだ頭痛が引かない。肩こりもひどい。
「人人一様」
最近、曽さんが許さんのうちでお茶を飲まない。今日は口も利かずに素通りしていった。何かあったのか。
「一昨日、村長に頼んで薬を持ってくるように曽さんに頼んだんだが、まだ持ってこないんだ」。
許さんは歩くことができないので、自分で薬を村長に頼むことができない。先月29日、30日、31日と頼んだが、曽さんはまだ持って来ないという。許さんの足は痛み始めている。曽さんはなぜ持って来ないのか。
「曽さんは気にかけてくれていないんだろう。薬は松立さんに頼んだ」。
状況を飲み込めず、驚きと不審をこめて何度も訊き返す私に、彼は呪文のようにゆっくりとつぶやく、
「ジンジンチェグイエ、ジンジンチェグイエ」。
その漢字を、許さんは白いチョークで「人人一様」とつづる。どういうことか。
「あんたもいいヤツ、曽さんもいいヤツ、松立さんもいいヤツ、みんないいヤツだ。人人一様。あいつはいいヤツだ、こいつは悪いヤツだなんて言う必要はない。みんな一緒だ。時に笑いがあれば、それでいい」。
「人人一様」。
許さんのその柔らかい口調が耳についている。その次の瞬間、元院長が医療費を出してくれなかったことをぼやいていたが。
バチ
潮州では、建設をする前に神様に供え物をする。3月のワークキャンプのとき、建設業者は神様に祈ってから建設を始めた。
「これをみだりに扱うなよ」。
そう言われた。が、郭さんは供え物の何かを食べてしまったそうだ。村人は郭さんの不調の原因を神様のバチだと語る。彼がときどき東に向かって祈ることと何か関係があるのだろうか。
ジエシャン
机を挟んで村長の向かいに座り、ジエシャンは白いチョークと戯れている。
「タイラン(僚太郎)、おまえ熱があるんじゃないのか」。
村長の野太い声に私は軽く答える、
「プーチータオ(不知道)…」(どうすかね…)。
「『不知道』…。フフフ…」。
ジエシャンは私のたどたどしい中国語を茶化し、机に「不知道」と白く書く。彼女がチョークを動かすのを見ていた村長はうれしそうに苦笑いする。
「ジエシャン、潮州語の『ウイシー』ってどう書くの?」
その意味は「眠い」だ。
「『ウイシー』…?漢字はないわ」。
多くの潮州語は漢字がなく、「潮州土音」と呼ばれる音しかない。
「あるぞ。『ウイ』はなぁ…」。
村長はジエシャンの白いチョークを取り上げ、達筆な字で机に「畏」と書く。彼がそこで手を止めると、ジエシャンが高い声を上げながらチョークをもぎ取り、「死」と書く。これが「シー」だ。村長はいたずらっ子の孫を見るような眼で笑う。
潮州語で「死」は最上級を表す。例えば、「とてもいい」という意味の「ホーシー」は「好死」と書く。しかし、村人は「死」という字を忌んで書こうとしない。
村長に向かって私が発する奇妙な言語を聞きながら、ジエシャンはそれを拾い書きしていく。合間、合間には机の脚に白い横線をたくさん引く。彼女の手と村長の机はチョークだらけだ。
ワークキャンプができる!
真人委員長からメールが来ている、
「どうにかキャンプはできますよ!!」
ビックリマークが2つ付いている。私の喜びの小さな叫びは、ネットバーでゲームに熱中する子供たちの喚声でかき消される。
真人のメールによると、すでに何人か参加希望者がいるという。その中には、福田きよ子さんが含まれている。彼女は、私がハンセン病に関わっている大きなきっかけの1つをつくった人だ。
SARSが日本で騒がれている中、参加募集を公にするともある。真人、ありがとう。
ガン
先日、HANDAの医師・マイケル=チャンに許さんの身体の様子をメールした。その返信が来ている。
「腎臓、膀胱などの検査を受けるべきだ。尿検査の結果からは膀胱の機能障害は見られない。だが、血尿が出ていることだけは気になる。尿道に結石、ガン、あるいは損傷があることが考えられる。許さんの身体の状況と年齢からして、ガンの可能性を考えなければならない」。
腕からこめかみにかけてゾワッとする。ガン…。
「(許)炳遂の症状は陳宏広に似ているんだ」。
以前聴いたこの村長の重い口調と、ぐったりした陳宏広さんのうつむき、「人人一様」とつぶやく許さんの姿が私の中を駆け巡る。陳さんは昨年、亡くなった。