傷のケアに消極的な村人
7月の中旬、HANDAの義足技師がリンホウにくる可能性がある。ボランティア看護士のファニーも来るかもしれない。彼らが効果的な仕事をするには準備が必要だ。村人の傷の状態を記録し、写真を撮り、彼らに事前に見せたい。
傷のケアに消極的な村人
靴を脱いだ若深さんの左足はかなり小さくなっている。足に包帯をグルグル巻き、布製の靴の先に詰め物をして歩く。靴は潰れ、包帯がはみ出している。HANDAの幅広の靴が彼には合っているはずだ。
「いや、これ以外の靴はダメなんだ」。
村長のお茶を飲みながら若深さんは短く言う。HANDAの技師は専門家なので最適な靴を選んでくれるだろう。合わなければ現在の靴を履き続ければいい。とにかく、傷の位置を記録し、写真を撮らせてくれるように頼んでみる。
「その靴を履いても、今のように歩けるのか。畔やちょっとした山道なんかも歩くんだぞ」。
結局、彼は足を見せてくれないまま、古巷での買出しから帰って来た陸さんのところに行ってしまう。
*
つづいて松立さんが村長のところに来る。彼は左右の足首に傷がある。左足首の傷は直径10センチ以上ありそうだ。彼の靴はプラスチックのような素材だ。歩くときベロの部分が足首の傷にあたる。これが治らない原因ではないか。
「靴は関係ない。これは治らないものなんだ」。
松立さんは笑顔で強く否定する。
なぜ2人はここまでかたくなに拒むのだろうか。松立さんはこうまで言った、
「お金を少し持ってくることが可能であれば、その方が助かる。どうせ治らないんだから、治療は浪費だ」。
続けて言う、
「死を待つのみだ」。
彼の笑い声を聞きながら、私は黙ってタバコに火をつけた。
飲むか!
昼。郭さんがくれた麺を、インインが料理してくれ、それをインチンと一緒に食べることになる。
「ピーチュー、アヤマイ?」(ビール飲むか?)
インチンの大きな声を聞き、一瞬HANDA通信の翻訳がアタマをよぎる。最近は少しのビールで酔っ払い、頭を使うことができなくなるからだ。その次の瞬間、「死を待つのみ」という言葉がよみがえり、私は日本語で叫び返していた、
「飲むか!」
*
やっぱり私はリンホウの人々が好きだ。一時期、村人がケンカする云々で幻滅しかけたが、そんなことは今は問題にもならない。いま私が辛いのは、彼らが自分たちの医療を、自分たちの人権を重視していないように思えることだ。医療に関して言えば、彼らは薬がない、病院に行けない、それらのためのお金がないと訴えるが、実際に寄付を募るなどの行動を起こそうとすると不要だという。ハンセン病患者は誕生日を祝わない、ハンセン病患者に旅行は不要だ、死を待つのみだ。そんなコトバを聞く度に、彼らの自分自身への差別心に愕然とする。彼らの自分に対する偏見を取り除くにはどうすればいいのだろうか。