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『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

2003年7月7-8日

2003年7月7日

医療改善策

朝8時半、HANDAの医師・マイケルと村の医療をいかに改善するかを話し合う。

「最善の策は、緊急医療基金の設立だ。ガン、心臓病などの大きな病気が見つかった場合、この基金から医療費を村人に支給する。ただし、こういった基金は資金提供者の理解を得にくい。寄付したお金の消える先が明確に見えないからだ。

次善策は、村人個人の病気を見つけ次第、資金提供者に協力を仰ぐことだ。健康状態をきちんと示し、必要な医療上の処置とそれにかかる費用を計算すれば、資金は比較的集まりやすいだろう」。

 いずれにせよ、村人の健康診断を実施しなければならない。1年に1度でよいとマイケルは語る。もちろん、問題が発見された場合はさらなる検査が必要だ。健康診断にかかる費用は、1人当たり100~200元(約1500~3000円)だという。何とかボランティアの医師に健康診断を行ってもらいたい。

広東省快復村調査旅行

マイケルと話していると、快活な声がする。

「林志明さんだ」。

マイケルが言う。あの『苦難不在人間』の著者だ。彼は広東省全体のハンセン病快復者が住む村の調査を行っている。今回の旅には私を連れて行ってくれると先日きいていた。しかし、ワークキャンプの準備があるので一緒にはいけないだろう。残念だが、次回を待とう。ところで、どこを周るのだろうか。

「今度の調査では、潮州、汕頭(スワトウ)、南澳島、恵来、掲西、陸豊、海豊など7ヶ所にいくぞ」。

林さんは元気に言う。潮州、スワトウ?私が行きたいと思っている村が含まれているではないか!どのくらいの期間をかけて調査するのだろうか。

「7つを周るのに最低で10日はかかる」。

いつから?

「明後日からだ」。

何ともせっかちな。

「おまえさんは明日、ヤンカン村に行くんだろ。手紙を書くから欧さん(ヤンカン村の代表)に渡してくれ。今回は彼と一緒に行くんだ」。

そう言うと、彼はすぐに席を立ち、手紙を書き始める。そして、5分と経たないうちに持ってくる。

「欧さんに渡すのを忘れないでくれよ」。

何かの文書の裏に書かれた欧さんへの手紙では、旅の支度をして私と一緒に明日HANDAに来るようにとある。

林さんのイノシシっぷりに共感した私はいつの間にか、この調査旅行について行くことにしていた。

ワークキャンプ人気とマイケルの苦境

「FIWC関西委員会がワークキャンプをヤンカン村で8月にすると急に言い出したんです。困ったもんですね」。

ちょっとした冗談のつもりで言ったのだが、マイケルの顔が困った表情になる。

「な、何かやばいことでもありますか?」

マイケルによると、ヤンカン村ばかりにワークキャンプが集中すると他の村から不満が出るという。ワークキャンプを誘致しているHANDAの秘書長として、マイケルは他の村に対して申し訳なく思うそうだ。

「そんなにワークキャンプって村人に人気があるんですか?」

マイケルは大きくうなずく。ヤンカン村の状況は物的、精神的によくなった。そろそろ他の村に移ってはどうか。リンホウも来年でおわりにしてはどうか。彼はそう提案する。

「考えておきます…」。

FIWCとHANDAのワークキャンプに対する考え方は違うようだ。FIWCはどちらかというと、キャンパーが村で何を感じるか、またキャンパーと村人個人個人との関係を重視する。そのため、1ヶ所の村で長くキャンプを続けたい。一方、HANDAは中国のハンセン病問題として大きくワークキャンプを見ている。そのため、各村でのワークキャンプの回数は平等になるべきだと考える。FIWC関東委員会の中国駐在員であり、同時にHANDAのワークキャンプコーディネーターの名前を借りている私はビミョウな立場に立っていたようだ。

   *

ヴィヴィアンと夕ご飯のギョウザを食べながら、マイケルに言われたことを話す。

「そうですよー。ワークキャンプをするのがヤンカン村ばかりじゃHANDAとしては困りますよー」。

ムムム…。

「でも、村人ひとり1人との関係を薄くしてキャンプをするのはどうかな…」。

ふとひらめいた、

「だからこそ学生によるハンセン病支援のネットワークをつくればいいんだ。そうすればFIWCとHANDAの両方の考え方を立てることができる」。

このネットワークを構成する各大学の支援団体は、1つの村でワークキャンプを続ける。一方、年に数回ネットワークに属する諸団体の代表が会議を開き、まだ支援団体がついていない村でのワークキャンプの可能性を探る。これによって、ひとつ1つの村と支援団体との関係は深く、同時に広い範囲での支援活動を展開することができる。

2003年7月8日

ヤンカン村キャンプ下見

ヴィヴィアンの友達のジエチオンと彼女の姉のジエフェイとヤンカン村村でのワークキャンプの下見に行く。

村に着くと、初めてここを訪れたジエフェイは筆談する、

「ここの環境はとても居心地がいいわ」。

口数の少ないジエフェイは村人とのワークの話し合いになると、人が変わったように積極的に意見を言う。村人との話し合いを強力に引っ張っていく。トイレをつくる予定のカマドの部屋に行き、トイレをつくる位置を確認する。すぐに部屋の外側に回ると、肥溜めをつくる場所を決める。

「うちの父が建設業だから、彼に教えてもらえば、キャンパーだけでトイレをつくれるわ。キャンプ期間は4日間だけだけど、何とか大丈夫よ」。

材料費は彼女たちが先払いしてくれるとまで言う。

「じゃ、測量を始めましょう」。

私はただただついて歩くだけだ。

トイレの必要性

ヤンカン村にはすでにトイレが1つある。今回のキャンプではその反対側にもう1つのトイレをつくる。本当にトイレは2つ必要なのだろうか。そんなことを考えながらボーっと村の中庭を眺める。

と、1人の村人が中庭を横切って歩いていく。キコキコ…。普段は外しているブリキの義足を2本つけ、松葉杖にすがるようにしてトイレに向かって歩いていく。彼の腕は手首を失っている。トイレットペーパー代わりの竹の棒を小脇に挟み、歩いていく。キコキコ…。

現在あるトイレは、彼の住んでいる長屋の反対側にある。数十メートルは離れている。雨の日はどうしているのだろう。やはり、彼の部屋側にもトイレは必要だろう。

何践隆さん

キコキコ歩く村人の家に遊びに行く。

彼は、教会が寄付したという車椅子を持っているが、手首から先がないので足で動かすと話してくれる。進行方向の逆向きに車椅子を向けて座り、足で地面を蹴りながら進む。実演して見せてくれた。

彼は松葉杖なしでも立つことができる。ホウキで部屋の前の廊下を掃き始めた。汗だくだ。替わろうとすると、彼は笑顔で断る。

掃除後、ジエチオンは彼が義足を外すのを手伝う。

「ワー、重い!」

義足を持ったジエチオンが言う。確かに重い。これを履いて歩くのは相当の力がいる。彼は扇風機を出してくれ、汗だくの自分ではなく、ジエチオンと私だけに風が当たるように置いてくれる。

彼の腕の先に張ってあるガーゼがはがれているのにジエチオンが気づいた。しかし1度はがれたテープはなかなかくっ付かない。ガーゼも汚れている。

「え、他のガーゼはないの?何で?え、痛くないの?感覚がないの?」

ジエチオンはひとつ1つに驚き、私に逐一報告する。

「え、42年もこの村にいるの!?」

ジエチオンは小さく叫ぶ。

その村人は薬の箱を机の上に置いた。引き出しからボールペンを出すと、腕と腕の間に挟み、字を書き始める。一画一画をゆっくりと書いていく。何践隆。彼の名前だ。

ヤンカン村ワークキャンプ各リーダー決定

FIWC関西委員会さん、すみません。勝手に中国側の各リーダーを決めさせていただきました。もちろん、総リーダーは関西委員会の槻美代子さんです。

中国側リーダー:リァオ=トンビン

中国側ワークリーダー:リァン=ジエフェイ

中国側レクリーダー:リァン=ジエチオン