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『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

広東省東部快復村調査旅行

2003年7月10日

「林さんと一緒に村に行く夢を見たわ。そこには子供たちがいるの。1人の村人が死にかけていたわ…。どこの村かしら」。

朝一にジエシャンから携帯にメッセージが入った。今日訪ねる村はどんな村なのだろう。

2コ目の村のデータ

医院名称:陸豊市光地医院

電話:8980360

設立:1957年

郵便番号:516521

院長:盧華民

村長:彭景亮

村内電話:8261012

住所:広東省陸豊市博美鎮

村人数:88名(最大400名前後)

平均年齢:57歳

生活費(月/人):200元(約3000円)

医療費:50元(約750円)

医師:?

結婚状況:12組

ヤサシイ…

光地医院の職員がホテル―1晩350円―の薄い扉を叩く、

「朝ご飯を食べに行こう!」

バンに先に乗り込んでいた医院の職員・呉召南さんは、バンに乗ろうとする林さんの腕をとる。

朝ご飯は飲茶形式。いろいろな点心がワゴンで運ばれて来、うまそうなモノを選ぶことができる。盧華民院長を初め、医院の職員4人と共に食事をする。

体がゴツイ呉さんは林さんと欧さんのお茶がなくなるとすかさず注ぎ足す。

9時過ぎ、医院のバンで村に向かう。この車の後部座席のクーラーは調子が悪い。送風口から水が滴り、風に乗って林さんが座っている場所に時々飛んでくる。呉さんは送風口を手で抑えつづける。

30分ほどで村に着いた。暑い。呉さんはみんなにミネラルウォーターを配る。手が不自由な林さんと欧さんにはフタを緩めてから渡す。

村の様子

この村の建物は新旧の差が激しい。薬局がある建物は灰色く黒ずんでいる。赤い星が外壁に堂々としていることから、かなり前に建てられたことがわかる。その隣にある村人の家は白いキレイな建物。2階建てだ。扇風機、電話があり、室内にトイレと台所がある。ただしプロパンガスは空だ。この住居の奥には少し古めの長屋、さらに奥には相当古い長屋がある。長い木材を外壁につっかえさせて補強してある。

村の水は、キリスト教会が寄付した大きな貯水タンクで賄われている。生活費は200元(約3000円)、医療費は50元(約750円)だ。

息子、孫

村人は現在88名だ。結婚している村人が12組おり、子供が11人住んでいる。46人の住居が安全で、22人の家が危険な状態にある。20人は村外の家族の下にとどまっているという。

安全な2階建ての家の1階に住むおじさんは、両足が不自由で車椅子に乗っている。おしっこは管からしているという。奥さんはその2階に住んでいる。

「妻は手足の指がないんだ」。

そう言う彼の隣に座って赤ちゃんを抱っこしているのは誰だろう。

「息子だ」。

背が高くてハッキリした顔立ちの彼ははにかんで笑う。このおじさん村人は息子とお嫁さん、孫3人と一緒に暮らしている。この村人はにこやかだ。他の村の人々と同じ微笑だが、彼の表情には暗い影を感じない。

雑貨屋

村には雑貨屋がある。中国のどこにでもあるような普通の雑貨屋だ。ビール、ジュース、お菓子、タバコ、石けん…。だいたいのものはそろっている。村人の夫婦がそれを営む。中学生くらいの少女が2・3歳の女の子を抱いている。

「私の娘よ」。

雑貨屋のおばちゃんは言う。少女は妹をベッドの上に座らせる。カメラを向けると女の子は下を向いて固まってしまう。私の妹も同じように恥ずかしがったものだ。

ワークキャンプの可能性

院長にワークキャンプができるかどうか尋ねてみた。

「村に必要なものは、看病用の部屋、医療設備、村人の家屋だな」。

この村はリンホウほど生活状況が悪いとは思わないが、ワークキャンプをすることは可能だろう。この村は快復者の子供がいることで特徴的だ。子供が住んでいるハンセン病の村は初めて見た。この村でのキャンプはどんなキャンプになるだろう。

盧院長

医院のバンで陸豊のバスターミナルに着く。バンを降りるなり林さんはチケットを買い、バスに乗り込もうとする。

「まあまあ、待ってくださいよ。次に行く病院に電話しますから。場所がわからないでしょう」。

次に訪ねる恵来県康復医院に光地医院の盧華民院長が電話してくれる。

「30分後に恵来県康復医院の職員が迎えに来てくれます」。

お迎えを待つ間、盧院長は林さんと話しこむ。何を話しているかよくわからないが、「リエンシー」という言葉をよく聞く。これからは連絡を密にして協力していこうという意味だろう。盧院長は私に携帯電話の番号を訊くほどの熱意を見せる。

3コ目の村のデータ

医院名称:恵来県康復医院

電話:0663-6682010

設立:1957年3月

郵便番号:515200

院長:温展鵬

村長:方古

村内電話:―

住所:広東省恵来県恵城鎮

村人数:85名(最大400名以上)

平均年齢:57.5歳

生活費(月/人):135元(約2025円)

医療費:50元(約750円)

医師:少なくとも1名

結婚状況:16組

あたたかい巨漢

恵来県康復医院のバンが来た。穏やかな顔をした大男が、降りてくるなり私たち3人と握手する。14時半、町中の医院の事務所に着いた。

事務所で巨漢はお茶を入れ、名刺をくれる。「温展鵬院長」とある。西洋医学を修得した内科医だ。彼はHANDA通信の束を持ってくる。HANDAが毎号を郵送しているそうだ。

「いつもHANDA通信を読んでますよ。あの林さんに会えるとは。来ていただけて嬉しく思います」。

温院長は豪快に笑いながら大きな身振りで話す。林さんはHANDA通信で文章を書いているので、院長は彼の名前を知っていた。

「村には86歳から21歳まで85名が住んでいます。生活費は1人につき1ヶ月135元(約2025円)です」。

温院長は村の状況を林さんと欧さんに伝えていく。

「いやあ、お疲れさまです、お疲れさまです。こんなに暑い中わざわざお越しいただきまして」。

右手のこぶしを左手で覆って軽く会釈する彼の言動は、私が抱く「ハンセン病の病院の院長」のイメージをひっくり返す。

「うちの病院では、村人に急患があれば夜中でも村まで行きます。この前は夜の12時に村に行きましたよ」。

イヤミな印象を与えずに院長はそう言って笑う。林さんがねぎらう、

「あなたは村人に対してよくしてますね」。

「いや、村人が私に対してよくしてくれているんです」。

温院長は即答する。感じ入った林さんは言う、

「あなたは素晴らしい!」

村へ

15時半前、医院の4WDで村に向かう。

「キミは前の座席に座るといい」。

話好きの温院長は私にそう言うと、林さんの隣に座る。村に至る山道はリンホウやヤンカン村ほどデコボコではない。景色も素晴らしい。途中にある湖の色には眼を奪われた。しかし、長い。延々と話し続ける2人にとっては20分という時間は短かったかもしれないが。

建設中の家屋

村に着くと、すでに医院の職員3名が村人の部屋の前に座り込んでおしゃべりしている。

この村にも子供がいる。13名いるそうだ。

村には教会がある。白い壁にくすんだ赤の十字架がかかった建物だ。その隣の建物は薬局。屋根は雨漏りがするという。

「この村には電話がありません。携帯の電波も悪いんです」。

温院長はそう言いながら私たちを村の奥に案内する。そこには建設中の家屋があった。レンガをすべて積み終わり、屋根も出来上がっている。2階建てで、各部屋に台所とバスルームがある。陸豊市光地医院の新しい住宅と同じつくりだ。

「2人で1部屋を使う予定です。政府が11万元(約165万円)援助してくれてここまで出来上がりました。ただ、あと24万元(約360万円)必要なんです」。

現在は工事を中断している。完成すれば40人が住めるという。

仕事大好き

「林さんは酒は好きですか。今晩飲みましょう」。

温院長は林さんに親しく話し掛ける。

「いや、仕事があるからな。次の村に行かなければ」。

「何を言っているんですか。ここ潮汕(潮州と汕頭(スワトウ)一帯)の習慣で、主人は客人をもてなすものなんです」。

林さんは少々困った様子だが、次の瞬間、彼の頭は仕事に向く、

「この管は何だい?」

村のさらに奥へと続く小道を金属のパイプが横切っている。

「これは水道管です。あの山から水を引いています」。

村には水道が整備されている。

ワークキャンプの可能性

村の奥の奥には男の村人ばかり10人弱が住む長屋があり、そのまた奥には女の人のみが暮らす長屋が建っている。この長屋は熱い。そして暗い。圧迫感がある狭い空間にベッドが2つ置いてある。古い建物だ。特に壊れそうな様子はないが、とにかく暑い。窓のとり方が悪いのだろうか。

「新しい住宅が完成すればここの人たちは引っ越せるんだが…」。

そう温院長は語る。名前だけでなく心も温かい院長がいるこの村は、村人の心に余裕があるような印象を受ける。景色もいい。ここでもキャンプをしたい。

社会復帰

17時過ぎ、今晩泊まるホテルに行く。部屋で温院長に村の基礎データを表に書き込んでもらう。

部屋に1人の男が入ってきた。院長を初め、医院の職員たちは親しげにあいさつする。ふと、彼の手を見ると、ハンセン病の後遺症が少し見られる。

「このホテルの経営者だ。彼はあの村に住んでいたんだぞ」。

温院長はそう説明する。この人は社会復帰した後、ホテルの経営を始めた。指には金の指輪が2つ輝き、携帯電話も持っている。

コンコン。ドアをノックする音が聞こえたかと思うと、小さな女の子がヒョコッと顔を出す。

「パー!」(パパ!)

彼の娘だ。

林さんとHANDAの認知度

温院長、その他の職員3名と共に夕食をとる。そこへ貫禄のあるオジサンが入ってきた。

「衛生局長だ」。

局長は全員と握手し、席につく。彼はレミーマルタンを注文した。…うまい。

温院長は局長に林さんを紹介する、

「この方は『苦難不在人間』の筆者ですよ」。

呉衛生局長は驚き、「アー」と声をあげて林さんをもう一度見る。

   *

ブランデーに酔った温院長はHANDAの話をつづける、

「HANDAの秘書長は活躍されてますね」。

「陳志強?」

1人の医院の職員がそうつぶやく。ここの医院の関係者は『苦難不在人間』やHANDA通信を読んでいるようだ。

出会い

最後はお粥で締める。

「村人の家は雨漏りがするから、建設が中断されている家を完成させたいなぁ。要はカネの問題なんだ」。

温院長は言う。

「あなた方には感動しますよ」。

欧さんは答えていった。

「あなた方に会えて、ホントにうれしい」。

林さんも言う。

私にとっても温院長との出会いは今回の旅で最もうれしいことだ。この縁は大切にし、ワークキャンプとネットワークづくりを共に進めていきたい。

ワークキャンプ@リンホウの中国側リーダー決定

夜、携帯が震える。

「ウェイ?」(もしもし?)

「今晩は。お元気ですか?」

いきなり日本語が耳に飛び込んでくる。誰だ?日本の友達の顔と声を一致させようと、頭はフル回転する。

「聞こえますか?」

「だ、誰ですか?」

「アイ・アム・ローリー」。

インジエの英語名だ。そういえば彼は最近、日本語を勉強していると言っていた。

彼は8月のリンホウでのワークキャンプに参加するという。ついでに頼んでみた。

「中国側のリーダーをやってくれないかな?」

インジエは引き受けてくれた。ヤンカン村のトンビンに続き、リンホウにも中国人のリーダーが誕生した。彼は9月、大学院に進学する。チァロン(マーク)、ジエシャン(ジル)、シャオハン(ラッキー)と同じ学年のインジエはリンホウでの経験が他の中国側キャンパーよりも長い。リーダーとして適任だ。