ワークキャンプの本質
シャオヤオが2015年12月からJIAの事務局長を務めている。
彼女は医学生だった2005年1月、初めてワークキャンプに参加する。
2008年に卒業後、医学には進まず、JIAの事務局で働くことを選ぶ。
曰く、
「医者を目指していた私は、同じように人を救うのであれば、
医学に頼らなくてもいいのではないかと思うようになりました」。
そのシャオヤオと僕は、実は、コミュニケーションがうまく行かないことが多い。
以前、僕は、それは「シャオヤオの問題」だと思っていた。
彼女は頭の回転が早く、口の回転はそれ以上に早く、鋭い。
まさに、カミソリ。
そんなシャオヤオに問い詰められると、僕は思考が停止し、蛇に睨まれた蛙のようになる。
しかし。
例の「自尊」(2017年2月27日のブログ)で考えると…
僕はそうやって自分の言いたいことを言えず、自分を押し殺し、低めている。
と同時に、それは、シャオヤオに対してもものすごい失礼なことであり、彼女を押し殺し、低めていることになる。
つまり、自分にとっても、シャオヤオにとっても、いいことはない。
そこで、僕は、今年1月5日以来、丹田に力をためて、シャオヤオに自分の想っていることを伝えるようにしている。
その後、二度ほど大きめのぶつかり合いがあった。
ただ、回を重ねる度にお互いへの理解が深まっていることを感じる。
(12年も一緒に活動していて、何を今さら…)と思う。
が、本当に、そうなのだ。
さっきは、シャオヤオとぶつかった後、宝物のような言葉がシャオヤオから出てきた。
「私が想うに、(それぞれの人が)『ちがう』ということこそが、ワークキャンプの本質。ぶつかり合い、そして、わかり合うこともまたワークキャンプの本質」。
シャオヤオ(左)と幼いころのりんほう(僕の娘)