シンシン、武漢へ
シンシンと出あったのは、2004年、広西壮族自治区南寧市にある広西医科大学の学食でのことだった。
そのとき僕は、午後から向かう桂林市のハンセン病快復村・平山村について同大の学生と話しながら昼食を取っていた。
たまたま通りかかったシンシンはその場で僕らに声をかけ、「僕も行きたい」と言う。
「…。いいんだけど、食事が終わったらすぐ出発するよ?」
「大丈夫。ちょっと待っててくれ。すぐに戻ってくるから。」
数分で戻ってきたシンシンはそれ以来、この活動に関わり続けている。
「ハンセンのシン」とあだ名され、あらゆる場所であらゆる人にハンセン病について語りまくる。
小銭を要求する若い物乞いに対してハンセン病を語り出したときは、僕もさすがに驚いた。
シンシンは2008年に卒業し、その後は南寧市の活動参加者のOB会の会長となり、ほぼ400名の社会人会員を率いている。
シンシンの職業は、医師。
現在、南寧市第二人民医院の呼吸内科主治医師だ。
そして、今日の午後、シンシンは肺炎がますますひどくなる武漢に飛ぶ。
同医院が募った、武漢応援のボランティア医療部隊に志願したのだ。
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