自尊感情
昨日、夕食をつくっていると、りんほう(娘)が突然掃除機をかけ始めた。
今朝、僕はりんほうに言う、
「りんが掃除機かけてくれて、助かるなぁ」
りんほうは一瞬何か考えるような表情をし、こう言う、
「パパとママがご飯つくってくれて、助かるなぁ」。
その時は、りんほうのその答え方に、(なかなか粋な切り返しをしてくるやつだ)と思ったくらいだった。
が、しばらく経って、ふと思った、
(おれは、自分が料理してることを全然評価してないんだ…)。
自分が料理していることは「当然」くらいにしか考えていなかった。
でも、それはつまりは、ジエシャン(妻)が料理していることも評価していないことになる。
自分を低めることは、実は相手を低めることと同じ。
僕が料理して、家族の役に立つ。
ジエシャンが料理して、家族の役に立つ。
りんほうが掃除して、家族の役に立つ。
それぞれが何かして、役に立ち、評価される、そうあるべきはずだ。
振り返れば、僕は至る所で自分を尊重しておらず、評価していない。
自尊感情が低い、のだ。
ちょっと油断すると、自尊感情が低くなる、というか、なくなる。
これは、自分を苦しめ、相手を苦しめ、周りを苦しめる。
もう、それは、やめなければ。
ものすごい注意をして、気をつけなくてはいけない。
これまで、しっかりと自尊感情を持っている人に何人かあってきた。
今即思い浮かぶのはリンホウ村の蘇振権、久美姉さん。
彼らは、自分のハンセン病、自分の障害を、自分を形づくる要素として、当たり前のこととして、受け入れている。
だから、中国語で言う「平静」(日本語でなんて言うのかな、「心の平安」とかか)を保っている。
これまでの中国での活動が何だったのか、どんな意味があるのかを考え、言葉にし、本にすること。
自分を尊重する上で、これが必要だ。
今、この肺炎で島を出ることができない今、それをやる。