リンホウの人々のくらし
身体が不自由な村人たち
リンホウ村とそこから歩いて10分ほどにあるリンホウ医院は、1960年に設立されたハンセン病の隔離施設だ。設立当初、300名もの人々が隔離された。現在は村人13名が広大な敷地に散らばって住んでいる。全員のハンセン病が治癒しているが、平均年齢は60歳以上で後遺症が重い―8名の手が不自由で、4名が歩けず、1名は右足を切断し、1名は目が見えない。目立つハンセン病の後遺症がない村人は3名だけだ。
リンホウの生活環境
村の家々は築20年以上の木造住宅(長屋Aだけ比較的新しいレンガづくり)といわれ、シロアリの被害のために老朽化している。もっとも危険な部屋の四隅には平均5センチ、最大7センチのヒビが入っている。
県の衛生局からの生活補助は1人当たり月120元(約1800円)だ。この金額は国が定める最低限度らしい。ほとんどの村人は薪で料理し、水分の多い白粥を食べている。畑で野菜を育てている村人もいる。飼っているニワトリの卵は貴重なタンパク源だ。肉はあまり食べない。
リンホウの気候は温暖だ。緯度は台湾とほぼ等しく、バナナがたくさん生えている。4月から10月は雨季になる。
助け合う村人
井戸はこの広い村に1つしかない。歩けない村人が汲みに行くのは不可能なので、村でいちばん若い郭さん(49)が歩けない人たちに毎朝、水を運んでいる(1ヶ月につき2~2.5元(約30~38円)のお礼を各村人からもらっている)。
郭さんは、目の見えないおばあちゃん村人・インチン(蔡玩郷)(70)の薬の世話や洗濯も手伝っている。インチンの部屋に水を運んだ後、ビンから錠剤を出し、コップにお湯を注いで手渡す。そして、フィルタをつけたタバコをインチンの口元に持っていき、火をつける。
外見上の後遺症が見当たらない孫シュウシュウ(孫鑾盛)や、社会復帰して村の内外に家を持つ陸さんは、村人のためにクーシャン(古巷)の町まで買い物にいく。買い物リストを受け取って自転車で出かける姿を何度か見た。