広東省東部快復村調査旅行
2003年7月17日
12コ目の村のデータ
医院名称:平遠県麻風病院
電話:0753-8824631
設立:1957年
郵便番号:―
院長:林
村長:―
村内電話:―
住所:広東省梅州市平遠県仁居鎮野湖郷
村人数:1名(最大190名前後)
平均年齢:67歳以上
生活費(月/人):180元(約2700円)
医療費:50元(約750円)
医師:1名
結婚状況:未婚
妥協せず
最後の村だ。7時10分、□隍(□の偏は「阝」、旁は「留」)から梅県行きのバスに乗る。2時間半後に梅県に着き、三輪オートバイで平遠行きのバス停まで行く。平遠県慢性病防治站に着くころには11時半を回っている。移動に4時間半かかった。
この病院の職員が3名、林さんと欧さんと話す。
「村はここから60キロも離れているんですよぉ」。
「どんなに遠くても、村を見なくてはいけない」。
「村人は1人しかいませんよぉ」。
「村人の人数は関係ない。1人でも見にいかねばならない」。
林さんは手を振りながら強く主張する。
「何でその村人は家に帰らないんだ」。
「身寄りがないんですよぉ」。
「どうやって生活してるんだ」。
「私たちが必要なモノを買って持っていくので、1人で料理して生活していますよぉ」。
医院の職員は面倒くさがる、
「1人しかいない上に村は遠いんですよぉ。公共の交通手段では村にいけませんよぉ。私たちは車を持っていないしぃ。HANDAの調査表には今ここで書き込みますから、村まで行くのはやめましょうよぉ」。
林さんと欧さんは村に行くと言って譲らない。日本で長年暮らした者として、私だったらこう考えただろう、
(医院の職員にも悪いし、妥協するか。村に行くのはやめよう)。
しかし、林さんと欧さんは頑として譲らない、
「3月にあなた方に電話して今回の訪問のことを伝えたはずだ。村に行く」。
「わかりました。昼ご飯の後、もう一度ここにいらしてください」。
荒野と1軒の家
昼過ぎ、平遠県慢性病防治站に戻ると、軽ワゴンが用意されていた。40分行くと山道に至る。山を切り開いてつくった崖道だ。ガードレールはない。運転を誤れば崖から落ちる。崖肌は土とも岩ともつかない剥き出しの斜面だ。荒涼とした風景が広がる。
50分間グチャグチャに揺られると、1軒の家が見えてくる。村人の家だ。車を降りると、あたりは耳鳴りがするほど静かだ。緑はほぼない。人工的な形をし、乾燥した土色の山が周囲を囲む。日差しが強烈だ。周囲からの照り返しも含まれているだろう。
おばあちゃんの眼
部屋の戸には中国共産党の標語がある。「共産党と共に歩もう」、「毛主席の話を聴こう」。戸を開けると、中央に吹き抜けがあり、その下に池がある。涼しい。それを囲うようにいくつかの部屋が並ぶ。そのうちの1つから、おばあちゃんの声が聞こえる。この小さな、痩せたおばあちゃんの名は楊四妹。部屋にはホウキ、メガネ、薬、耳掻き、日めくりカレンダー、洋服などがきちんと並んでいる。水道はあるが、電気はない。ガスもない。
林さんは医院の職員の通訳を通し、HANDAの表を埋めていく。
彼女は眼が澄み切っている。変形した手を組み、シャツの襟に唇を触れながら話す。透明な笑顔の眼は時折、悲しみに変わる。何か高貴な美しさを感じる。中学生の頃―もう10年以上前になるか―クロブチメガネの数学の先生が言った、
「女の人の本当の美しさは、年をとってから見えてくる」。
サヨナラ
40分ほど滞在すると、林さんは帰ろうと言う。私が握手の手を差し出すと、おばあちゃんは一瞬何のことだか分からないという眼を見せる。彼女は暫し私の手を離さない。
車に向かうみんなの背を追う。振り返ると、おばあちゃんが部屋と部屋の間に小さく見える。松葉杖をついてこちらを見ている。彼女の左足は木の棒の義足だ。手を振ると、彼女はゆっくりと松葉杖を壁に立てかけ、手を上げる。部屋にあった中国共産党の赤い標語―「興無滅資」―が虚しい。