『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

村人との毎日

この2月のキャンプでは、前回のキャンプでは考えられなかったことが村人との間で起こった。あのシャイな曽さんと焼酎を飲み、陸さんが奥さんを連れて村に来、目の見えないインチンと飲茶タバコができた。

 新たな事実の発見もあった。金歯のカンペイちゃんや孫シュウシュウは旧正月には帰省すること、右足を切断した蘇村長は激しい神経痛のために眠れない夜があること、インチンは自分を社会と家族のお荷物だと考えていること―。

 「自腹で行く『うるるん滞在記』(TBS系)」。

 吉田亮輔はワークキャンプをこう評する。キャンプ中は村人との濃い時間を過ごす。が、時間は限られている。亮輔は、村人のために何ができるのか分からなくなった。そのとき、ふと気づいたそうだ、

 「自分のためにいろいろな経験をしないと」。

 キャンパーはリンホウに家を建てる。それでも、「村人に与えてばかりではない」。ワークキャンプでは、自分の価値観が覆されるような出会いがある。村人はキャンパーの「先生になる」こともある。

初参加のキャンパーは新たな出会いを見つける。2度目、3度目のリンホウとなるキャンパーは、村人との関係が一歩進んだことを感じる。そんな村人との毎日をのぞいて見よう。

リンホウの人々

・孫鑾盛(ソン=ルンセン、♂)(58)

村人の帰省

カンペイちゃん(方紹平さんのあだ名。間寛平に似ていることからついた)の姿がない。部屋にはカギがかかっている。2月20日、村に着いて早々キャンパーの間に不安が走る。カンペイちゃんは昨年11月、体調を崩していた。もしや…。

 翌21日、カンペイちゃんは金歯を見せながら自転車で帰ってきた。カンペイちゃんは帰省していたという。今日は、金ボタンが光る深緑のジャケットに黒の渋いハットを合わせている。

 「妹が上海で買ってきてくれたんだ。潮州ではきっと買えないぞ」。

 そうダミ声で笑う。

 *

 その夕方。

 見知らぬ少年が運転するバイクとリンホウ医院の前ですれ違う。

 「あ、シュウシュウが後ろに乗ってた!」

 バイクは町の方へ走り去った。村人に訊いてみると、あの少年は孫シュウシュウの親戚だという。シュウシュウも2月21~25日、帰省した。

 村人が帰省できるとは知らなかった。中国では1月の終わりから旧正月になる。この時期には帰省することもあるそうだ。しかし、カンペイちゃんにせよ、シュウシュウにせよ、外見上の後遺症がない。後遺症が重い村人は帰省しないようだ。

 25日、村に戻ってきたシュウシュウは、自室で独り夕飯を食べている。高さ10センチ程の椅子にしゃがむように腰掛け、ゴハンを箸で口に押し込むように食べる。背中を丸めて座るシュウシュウを裸電球がぼんやりと照らしている。

・方紹平(ファン=シャオペン、♂)(69)

カンペイちゃん、大丈夫かな…

キャンパーは毎晩、リンホウ医院でワークの汗を洗い流す。医院までは帰省中のシュウシュウに代わってカンペイちゃんが送ってくれる。キャンパーがシャワーを浴びる間は、医院の会議室でテレビを見ながら順番待ちのキャンパーや医院の職員と時間をつぶして待っていてくれる。

 キャンパー6名全員がシャワーを浴び終わるまでには1時間以上かかる。カンペイちゃんはお疲れの様子だ。

 「肩、もみましょうか?」

 強くもんだら肩がこわれそう。骨に皮がかぶっているだけのような感じだ。次は首のマッサージ。左手で額を押さえて右手で首の後ろをもむ。首が取れそうに細い。

 *

 カンペイちゃんは昨年11月に比べて目が見えなくなってきている。

 「ハンセン病の療養中に漢字を覚えたんだ」。

 そう金歯を見せるカンペイちゃんは昨年、5ミリ程の字をビッチリ書き込んだ手紙をくれた。今回の文字は二周りほど大きい。筆談のときも紙の端を越えて書き続けても気づかない。ボールペンを持つ手は小刻みに震えている。

 カンペイちゃんは新聞を読むのが好きだ。鼻が紙面につくほど目を近づけて熟読している姿をよく見かける。11月キャンプの報告書を渡した夜も、薄暗い電灯の下、日本語の漢字を拾い読みしていた。

彼の視力はいつまで持つのだろうか。

カンペイちゃんの気遣い

カンペイちゃんに謝りたいことがある。

 「カオリンに宛てた手紙を盗み読みしてしまってごめんなさい」。

 3月8日0時ごろ。カンペイちゃんの部屋(長屋A)の電気がついている。こんなに遅くまで何してるんだろう。窓から部屋をのぞいて見ると、蚊帳が張ってあるベッドの脇に、乱雑にサンダルが転がっている。このごろ体調を崩しているので、電気も消さずにベッドに転がり込んだのかもしれない。

 ふと、窓際にある机の上を見ると、書きかけの手紙がある。いけないと思いながらも読んでしまった。こうある。

 「香織様 余っている毛布が1枚あります。薄い毛布ですが、必要ですか。寒い」

 手紙はここで終わっている。

・陸裕城(リッ=ジュシアン、♂)

ハンセン病が治ったら

 村人の陸さんが女のヒトを連れて村にやって来た。3月8日のことだ。

 「奥さん??」

 陸さんの肩に腕を回して耳元でそうささやくと、陸さんは満面の笑みで、

 「そうだ」。 

 ハンセン病が治ったあと結婚したという陸さんは、村の内外に家を持っている。ときどき村に来て、畑の世話をしている。奥さんと一緒にオレンジに農薬をまく陸さんは笑顔だ。

 ハンセン病が治った人がリンホウ村を出た例は他にもある。取り壊す前の長屋Bの倉庫から小指くらいの木片が3枚でてきた。何かの名札のようだ。蘇村長とカンペイちゃんにこの人たちについて訊いてみた。2名は亡くなっていた。しかし、1名はまだ生きているという。その人は15歳のとき父親と共に村に来て、治癒後に村を出た。現在、彼は55歳、父親は75歳だという。

 では、なぜ13名の村人は治癒後も家に帰れないのか。医院の職員・チュウウェイに訊いてみた。

 「村人の家族は、政府が村人を養うことを望んでいるんだ。村人は働けないからな」。

・許炳遂(ンコウ=べンシュイ、♂)(71)

ションチー

「ションチー」は、西尾「雄志」FIWC関東委員会委員長の中国語読みだ。許さんは西尾さんのことだけ何故か名前で呼ぶ。

 「ションチー、ライ!チャ!」(雄志、来い!茶飲め!)

 張りのある声で許さんがションチーにお茶をすすめる。

 許さんとションチーはどうやら両想いらしい。西尾さんがリンホウで撮った写真(36枚)を帰国後に見ると、許さん絡みの写真が13枚あった。

 「なんで許さんはションチーのことがそんなに好きなんですか?」

 許さんに訊ねてみる。すると許さんは2002年の日めくりカレンダーを持ってきて、9月12日のページを開く。そこには「西尾雄志」の文字が。この9月12日は、FIWC関東委員会の4名―中村博志、西尾雄志、茂木亮、原田僚太郎―がリンホウの状況を下見した日だ。その時、自己紹介を兼ねて私たちは日めくりカレンダーに名前を残した。許さんは、今回のキャンプ中に村に来た師範学院の学生にもこのカレンダーを見せていた。

肉の腐ったようなニオイが広がる。足の裏のほぼ全体がビチャビチャ。骨が見えている。周りにはボツボツがある。

 許さんが左足に巻いている緑色のパンツをほどいたのを見て、中平さんは驚いた。村人が包帯を取り替えるのを元看護士の中平さんが手伝ったときのことだ。

 許さんは他にも傷が多い。右手の人差し指と中指の付け根の間に深さ1~2ミリのヒビ。左手の人差し指の第3関節には1円玉大のヤケド。歩けないためにいつも地面に触れている左ひざの外側には擦り傷。右手の薬指には絆創膏。

 「別に痛くはないんだ」。

 お茶を入れ終えた許さんはそう言いながら、フタが開いている小さなヤカンの中に手を突っ込んでそれをつかむと、ひっくり返して熱湯を捨てる。

 「あー!!」

 と私が叫んだ時はすでに遅い。許さんは平然とし、熱湯を浴びたその手にタバコをもち、火をつける。

 ハンセン病の治療が遅れた場合、治癒後も知覚麻痺が残る。痛みも感じないため、傷をつくりやすく、また治りにくい。

 中平さんが蘇さんの両手に包帯を巻く手伝いをした時のことだ。

 「包帯を汚さないように注意してください。でないと包帯がバイキンの巣窟になりますよ」。

 私が筆談で蘇さんにこう注意を促すと、足が不自由な蘇さんは身振りを交えて言う、

 「そんなこと言われたって、手を地面について移動するんだから汚れるさ」。

 もっともだ。現在のリンzウでは、村人は傷の治療に専念することができない。たとえ足が不自由で歩けないとしても、基本的には1人で生きていかなくてはならない。麻痺した部分がある手で薪を割り、火を起こし、包丁を使い、料理する。切り傷、擦り傷、ヤケドを負う要素があふれている。

・許松立(ンコウ=ションリ、♂)(67)

不思議な靴下

(…ションリの靴下、変わった色だなぁ)。

 後ろ姿のションリ。そのズボンの裾からのぞいている靴下は、灰色地に赤い線が所々に入っている。変わった模様だ。

 (…皮膚だ!)

 ションリの足首の皮膚は灰色になっており、それがヒビ割れてアカギレのようになっている。左足首はピンク色にえぐれている。そういえばションリさんは前回のキャンプよりも歩き方がぎこちない。彼も歩けなくなるのだろうか。

・曽繁余(チャン=フアンガー、♂)(66)

「乾!」

村でのパーティーに来た師範学院の学生16名が帰って行った。リンホウ医院まで見送りに行った真人、カオリン、私は少し淋しさを感じながら村までの道を歩く。

 小高い所にある曽さんの家の前を過ぎようとした時だ。

 「来(ライ)!」(来い!)

 とテンションの高い曽さんの声がする。ふだんシャイな曽さんは、飲むと積極的になる。

 曽さんは焼酎と塩辛い卵焼き、キャベツ炒め、ナシを出してくれた。

 「乾(カン)!」(乾杯!)

 グラスを合わせて焼酎を飲む。

 「このキャベツは古巷の町で買ったんですか?」

 「いや、もらったんだ。乾!」

 グラスを鳴らして焼酎をチビリ。強烈な酒だ。

 「お前さん方はおれに気遣いを示してくれるんだな。乾!でもな、おれはお前さん方に気遣いは示さんぞ。乾!だがな、誰も他におれに気遣いを示さないから、感謝するぞ。乾!」

 曽さんはしゃべりまくり、自分が飲むたびに乾杯する。彼のペースで飲むとグビグビ飲むことになる。

 「ホラ、卵焼き食え。乾!」

 このしょっぱさが焼酎によく合う。

 「曽さんは何歳ですか?」

 「66だ」。

 「ボクは25歳です」。

 「アー!乾!」

 酒盛りは延々と続く。

 この日以来、曽さんはシラフでも話しかけてくれるようになった。寒くないか、蚊に食われたのかとキャンパーを気遣ってくれる。タバコを配るかのようにくれる量も増えた。すぐに自分のがなくなってしまう程だ。

・蔡玩卿(チョワ=ウィンケン、♀)(70)

「お荷物」

インチン(ウィンケンのあだ名)が泣いている。ジルに肩をさすられながら涙を流す。

 「日本と中国の学生たちに感動してインチンは泣いていたのよ」。

 後にジルが涙の理由を話してくれた。

「社会と家族のお荷物」。

インチンは自分をそうみなしてきた。ところが、今では学生が村人たちを気遣ってくれる。彼女にとって驚きだった。

 「他人が自分に対して親切にしてくれるなんて期待していなかった」。

 そう語るインチンは、感極まって泣いてしまった。

 ただ、インチンには新たな不安がある。今度は、自分たちが「学生のお荷物」にならないかを心配しているという。涙が出たのはそのためでもあった。

 「お荷物」。

インチンのこの言葉の裏には、村人は「受ける側」であり、学生たちが「与える側」であるという考え方が見える。私はそうは思わない。インチンの涙が教えてくれること、郭さんの水くみから見えてくること、カンペイちゃんの笑顔が教えてくれること。村人と私たちの関係に、「一方的に受ける側」は存在しない。そもそも、祖母や祖父の家を訪ねるようなものなのだから。