『猪突盲進』-原田燎太郎

World as One Family by Work Camp

中国の学生、ヤンカン村訪問(初)

いよいよ楊坑村へ。

モタモタ

ヴィヴィアンとツァイ=ハン、ジエシャン、私は、もたもた朝飯の肉まんやギョウザ、豆乳を買い、バスに乗り込む頃には7時半近くなってしまう。

7時45分頃、ヴィヴィアンの携帯が鳴る。トンビンからのメッセージだ。

「トンビンはもうバス停に着いちゃったんだってー。早いですねー」。

ヴィヴィアンはそう言うが、私たちが遅れているだけだ。

遠足気分

「出発ですー!」

 バスターミナルに全員が集合すると、トンビンはおどけて言う。みんな遠足に行く小学生のようにはしゃいでいる。インザン行きのチケットを買え、飲み物は何がいいか、(SARSの名残の)健康診断表を書け、…。ヴィヴィアンは健康診断書の年齢欄に「20」と書き込んだ。

別人

高速道路の脇のインザンでバスを降りると、欧さんがバイクに、もう1人の村人がトラクターに座って私たちを待っていた。欧さんは髪を黒く染め、青いティーシャツに黒いハーフパンツという若々しい出立ちだ。バイクにまたがって私たちが乗るトラクターを追い越して行く姿は、去年の2月とはまったく別人だ。

ガタガタ

トラクターは舗装した道を外れ、山道に至る。リンホウへの道以上の悪路だ。激しい揺れ。お尻が痛い。しっかりとつかまっていないと振り落とされそうだ。ただ、いちばんギャーギャー言っていたのは、いちばんこの道をトラクターで行くことに慣れているはずの私だった。

ランばあちゃん

村に着く。初めて村人に会った学生たちがどのような反応を示すのかを見届けることを忘れ、私は村人の中に飛び込んで行ってしまう。そして、ラン(林友蓮)ばあちゃん(FIWC関西委員会主催2002年2月ワークキャンプ報告参照)の部屋に行く。カギが閉まっており、人気がない。隙間からのぞくと、彼女が見える。耳が聞こえないランばあちゃんの部屋のドアを叩きまくると、やっと出てきた。私をこの仕事へと引き込んだ彼女の笑顔は健在だ。

「何であんなに穏やかないい顔で笑えるんだろう」。

ジエシャンは私と同じように不思議がる。

変化

楊坑村のイメージが変わった。変化したのは欧さんだけではない。台所おばちゃんの薄手のシャツにはブラジャーが透けて見える。村のイメージが全体として明るい。部屋もキレイに掃除されている。リンホウに見慣れたからそう思えるのかもしれない。それにしても去年に訪れた時とは何かが決定的に違う。FIWC関西委員会主催のこれまで3度のワークキャンプ、笹川記念保健財団主催の今年3月の桂林ツアー、HANDAの定期的なケアなどが楊坑村に徐々に変化をもたらしたのだろう。楊坑の人々は、村の外の人に会うことに慣れているようだ。

HANDAの理事会のメンバーである欧さんの影響も大きいだろうとヴィヴィアンは言う。リーダーの考え方は村の雰囲気を大きく左右するそうだ。

リンホウとの差

医療を巡る楊坑村の状況はリンホウの数段上だ。義足をつけている村人が多いことを改めて認識させられる。リンホウに義足はない。教会が寄贈したという車椅子も1台ある。生活費は150元(約2250円)で、加えて医療費が月50元(約750円)支給される。後遺症が軽い人が多く、楊坑村では共同台所が機能している。一方、リンホウの生活費は120元(約1800円)で医療費が定期的に支給されることはない。

差別不在

みんなで村人の家を一軒一軒訪ねて歩く。

「木の枝に目をぶつけて失明したんだ」。

「手がないから食事をつくるのが大変だ」。

「私は88歳よ」。

村人の話を聴きながら、学生は深刻な表情を見せたり、笑ったり。と、トンビンがいないことに気づく。

トンビンは村人の間に座り込み、タバコをポワーッとふかしているところだった。何を話していたのだろう。

「政府のハンセン病政策や、村の必要について訊いていたんです」。

彼は今日、初めて村人に会った。彼に差別という言葉はないのだろうか。ジエチオンもそうだ。彼女は旧友に会うかのような親しみを村人に見せる。こう語る、

「ヴィヴィアンから事前にハンセン病についての情報を得ていたから、彼らの後遺症を恐いとか思う気持ちはないよ。数十年隔離されていた話なんかを聴くと、生活の厳しさに驚くけどね」。

ワークキャンプ

みんなで昼飯をつくる。ワークキャンプみたいだ。台所おばちゃんの指示の下、みんなで野菜を大きなタライ3杯分洗い、鶏肉を7・8羽分料理する。

「もっと油を入れて炒めなさい!」

「えー、おばちゃん、多すぎるよー」。

これまで中国に3ヶ月ほど滞在する間、初対面の中国人同士の言動を何度も見てきた。多くの場合、面識の有無に関わらず、かなり会話が弾んでいる。ここ楊坑村においても例外ではない。初めて会った村人と学生たちは、仲良さげにしゃべりながら料理を進める。

唄、踊り

昼ご飯の後、食堂に村人が集まり始める。私たちが持ってきた写真を見ながら盛り上がる村人たち。その隣で、学生たちが唄を歌い始める。音楽学校に通っているワンチンは唄がうまい。表情をつくりながらプロのように歌い上げる。

「ハオティン、ハオティン!」(うまいな!)

幼稚園の先生を養成する学校に通っていたジエチオンは、初め歌うのをかたくなに拒んでいた。しかし、ひとたび歌い始めると止まらなくなる。踊りまで披露する。これが村人の心をつかんだ。フルーツの枝やトイレットペーパーを手にクルクルと踊るジエチオン。

「今度はおまえさんのためにコンサートを開こう!」

村人はご機嫌だ。

楊坑村での今後の活動

ジエチオンは楊坑村がある清遠市の出身。現在広州で働いているが、帰省する時は村に寄りたいという。7月にまた来ると欧さんに約束する。

「そん時はおれがバイクの後ろに乗せて村まで連れて行ってあげよう」。

ジエチオン人気はスゴイ。彼女は学校の後輩に呼びかけて楊坑村での活動を企画したいという。その他の大学も村を支援する可能性がありそうだ。トンビンが通う曁南大学には「ワンタッチ」というボランティア団体があり、そこが村に関心を持つかもしれない。広東商学院にはボランティア系の学部が新設されるという。ツァイ=ハンはこの学部に働きかけようという。さらにワンチンは音楽学校の後輩に呼びかけてチャリティーコンサートを開きたいと語る。新学期が始まる9月以降に一つ一つ取り組んでいくことになった。

今回の楊坑村訪問には5つの大学から5人が参加した。彼らがそれぞれの大学の学生たちに影響力を持ち続け、支援を続けられるようにしたい。うまくいけば、ネットワーク構築に向けて大きく前進するだろう。

トンビンの感想メール

トンビンが楊坑村を訪問した感想をメールしてくれた。以下に引用したい。

「この前、ハンセン病のことが何回聞いてしまったけど、やっぱり知っていなかった。でも、日曜日にヤンケンに行ってから、どうにかハンセン病はどういうことだろうって分かったが、はっきり知ってたとは言えないんです。本当に言うと、村人の明るさに感動されてたんですよ。彼らは何も考えずにそのまま暮らしていって、あんな病気になったのに。彼らの質素、単純な思想が私たちはなかなかこんな程度になれないでしょう。俺にとっては、ヤンケンに行くのは、なんか村人に役立たなく、彼らからたくさんのものを勉強してもらいに行くと思ってるんです。

これから、村に行っても、なんか村人に助けてあげるという考えを持ってなかったほうがいいじゃいでしょうか。私たちは、ただ村人たちの友達として、遊びに行くという考えをもって行ったら、皆さんは多分特別な感想ができるかもね。そうすると、村人たちも皆が彼らを差別してないと気がするかなと思う。

僚はそう思わない?」