学生が村に
抜け出してきた
曽さんと昼ご飯を食べていると、チァロン(マーク)、ジエシャン(ジル)、シャオハン(ラッキー)が村にやって来る。SARSのセイで基本的に外出禁止だったはずだが。
「大学から抜け出して来たんだ」。
韓山師範学院の学生・チァロンはそう言って笑う。大学の外に買い物に行くことは許されているので、それが長引いたことにするそうだ。彼らは、帰省さえ制限する大学のSARS対策を快く思っていない。
「広州の大学に通っている友達は帰省できるのに。うちの大学は大袈裟よ」。
ジエシャンはそうこぼす。ある学生は、広州からきた友達を師範学院内の寮に入れたため、大学に罰せられた。成績表にそのことを記載された上に、始末書を書かされたという。
「愛心天使」(ALA, Angeles of Love Association)のロゴ
小さなハートが並んで大きなハートの輪郭を形づくる。その一辺は欠けていて、小枝がそれをつないでいる。彼らが設立しようとしているリンホウの支援団体・「愛心天使」(ALA, Angeles of Love)のロゴだ。小さなハートは各メンバーを表し、小枝は生命を象徴している。
「『愛心天使』の『愛』は、愛だ恋だの『ラブ』じゃなくて、もっと上位にある『ラブ』なんだ」。
シャオハン(ラッキー)は語る。すべての人は心に善と悪を持っている。ALAの目的は、ヒトが心の奥に秘めている善の部分― つまり「ラブ」を引き出すことにある。真ん中にある空白は、まだALAのメンバーとなっていない人々が参加する可能性を意味している。
「これは戦争なんだ」。
自分の中にいる善が悪に打ち勝つ戦い。ALAは多くの人々が「ラブ」を持つことを望んでいる。
「愛心天使」(ALA)が設立許可を得る条件
ALAが大学から設立許可を得るためには、2つの条件を満たさなければならない。(1)活動資金源と、(2)母体となる団体を示すことだ。
資金に関しては、何とかなりそうだ。メンバーから参加費を取ることや、企業訪問によって資金を確保する。また、3月に私が知り合った開元寺という潮州の大きな寺院の住職や、『潮州日報』の田記者にも協力をお願いする。
2つ目の条件に関してALAは、HANDAが母体団体になってくれることを期待している。母体団体の主な役割は、もしALAが活動する上で事故を起こした場合などに責任をとることだ。ただ、ALAはHANDAに一方的に
責任を取ってもらうのでは不公平だと考えているので、HANDAの潮州支部としてハンセン病に取り組むことを望んでいる。そうすれば、双方の利益になるからだ。
大学の許可は不要?
これら2つの条件を満たせば、大学から許可を得ることができる可能性が見えてくることもあり得るという。許可がもらえなかったら、ALAは計画倒れとなる。ジエシャンが中心となって、ALAのロゴ、ビラ、2種類のポスターまでつくっているにも関わらずだ。
「許可なしでも、団体をつくっちゃえばいいじゃん」。
中国の大学組織をよくわかっていない私が言うと、彼らは首を横に振る。卒業生ならいざ知らず、在学生が許可なしに団体をつくることはできないそうだ。事故でも起こせば大学に罰せられ、卒業が危うくなる恐れがあるという。
「ALAのメンバー募集、村での活動など、すべての準備が整っているんだ。あとは、大学の許可だけだ」。
チァロンたちはそう言うが、SARSに過敏に反応している大学が果たして許可を出すのだろうか。
「初めて村に来たとき、リンホウの人々は桃源郷の住人のように感じたの。もめごとが結構あることを4月に知ってチョットがっかりしたわ」。
私もジエシャンと同じように感じている。電気を巡って孫さんと曽さんの言い争い、方さんとインチンの関係、今日は朝からとても酒臭い曽さん…。村人が散らばって住んでいるのには、理由があったのかもしれない。
しかし、リンホウを理想視していた私たちが間違っていたのではないか。同じハンセン病を病んだ人同士なのだからお互いに助け合って暮らしていると考える方がおかしいのではないか。ケンカしない人間はいない。神のように完成された人間はいない。リンホウの人々とて同じことだ。
3人の学生が帰った後、夕飯を曽さんに誘われて一緒に料理する。炭で真っ黒になった七輪で火を起こす。部屋中に散らばっている枯葉と小枝が燃料だ。中華鍋を乗せるとその円周から煙が立ち昇る。白い濃い煙に包まれながら、無性にむなしくなった。リンホウの人たちを好きになったから村に来たのに、その村人への想いが揺らぎ始める。
「カン!」(乾杯!)
曽さんは焼酎がなみなみと注がれた小さなカップを軽快に突き出す。今日の昼、ご飯を一緒に食べようと学生たちに誘われた曽さんはご機嫌だ(頑として何も食べなかったが)。彼は心から笑い、その間、声が出なくなるほどだ。片言の中国語で話しながら私も心底笑う。電気がないので肴が全く見えなくなると、完全に酔っている曽さんはあちこちにぶつかりながら懐中電灯を持ってきてくれる。私が箸を取ると、すかさず手元を照らしてくれる。
(このオッチャン、スゴク優しいな…)。