許さんの右下腹
年を取った
蘇村長のうちで朝の飲茶タバコをする。24日に李工場長からもらった「喜喜」タバコはうまい。
「そのタバコ、どうしたんだ?1箱8元(約120円)もするヤツだぞ」。
私は工場長から1カートン―80元(約1200円)分もらった。村人がよく吸っている1元(約15円)弱の「幸福」や私が気に入っている1元の「銀象」が8カートン買える値段だ。製薬工場に行き、翻訳をした謝礼として「喜喜」をもらった経緯を村長に話す。
「おれは年を取った」。
村長はそう短く2度言ってお茶を入れる。
「青年はあちこち走り回れていいな」。
ボソリと言う村長は淋しそうだ。75歳の村長がその才能を開花させる機会をつくりたい。
元潮州市人民代表大会幹部
キレイな車がリンホウに来る。メガネをかけた小柄のオジサンが降りてくる。4人を従えている。素振りから然るべき地位にある人だということがわかる。
キミは日本人かね。いつここに来たのかね。ここで何をしているんだね。キミは学生かね、医者かね。言葉も分からないのにここで暮らしていて不便じゃないかね。オジサンは立て続けに訊いてくる。彼はHANDAのニュースレターを興味深げに見、一部くれと言う。それを受け取ると、握手をして車に戻る。その間5分ほどだ。いったい誰なのか。車に乗り込もうとする彼に名前を訊いてみる。
「我姓頼、退休幹部」。
彼はそう書くと、帰って行った。村長によると、彼は潮州市の人民代表大会の幹部だったという。リンホウ医院のそばにあるウナギの養殖場に来たついでにここに寄ったらしい。養殖場のおばちゃんがリンホウの日本人の話を彼にしたからだそうだ。
虫垂炎?
この1週間ほど、許さんの体調が悪い。いつもキチンと髪を整えているが、このところ乱れがちだ。表情も暗い。お茶を入れてくれても自分では飲まない。食事を抜くこともある。
「明日は古巷の病院に行くんだ」。
医院の職員のバイクの後ろに乗って行くという。
「治療費は自己負担なんだ!」
一緒にお茶を飲みに来ている曽さんはそう興奮する。
とりあえず明日は検査をするだけで、治療は懐と相談してからだ。いくら必要かはわからない。
「このあたりが痛いんだ。虫垂炎かもしれない…」。
許さんはそう言って右の下腹をさする。熱はないが辛そうだ。
村人は知っている
夕飯をつくる。といっても、今晩はご飯を炊くだけ。おかずは中国の瓶詰め。ノリ、唐辛子味噌、ザーサイ、台湾豆腐と豊富だ。が、栄養はないようなものだ。
米を研いでいると、カンペイちゃんが真空パックの肉を持って来てくれる。若深さんは卵を2個、郭さんはインゲン。村人には食料がつきていることがバレている。うちの台所は窓に面しているので、村人にチェックされているからだ。
「松村泉と陽子がいないとダメだな」。
シュウシュウにそう笑われる。昨年11月のキャンプで、彼女らは料理がうまかった。
自炊は面倒くさい。コンビニで買えばいい?―ここは山奥だ。買いだめしておけばいい?―冷蔵庫がない。
ますます調子が悪くなる郭さん
8人兄弟の末っ子の郭さんは、13歳でハンセン病を発病し、1972年18歳の時にリンホウに来た。家族は皆、郭さんによくしてくれない。
「幸い、ここリンホウで政府援助を受けることができる。これが無かったら、どうなっていたことか…」。
そう蘇村長は語る。
最近、郭さんは夜眠れなくなった。精神病のようだ。薬はない。3度の食事を自分でつくらず、四川省の人々の残りモノを分けてもらっている。
「15日に陸さんが持ってきたお菓子ばかり食べているんだ」。
村長はそう低く笑う。郭さんのうちでお茶を飲ませてもらうと、いつもお菓子を出してくれる。郭さんは表情を変えずにポリポリとやっている。
今夜、村長とタバコを吸っていると、郭さんがやっていて腕を引っ張り、お茶を飲みに来いと身振る。部屋で郭さんは何かしきりにヒソヒソと私に言う。声が小さく、潮州語しか話さず、字を書かない郭さんの言いたいことは理解できない。今夜はしきりと私に何かするように言う。顔をしかめ、とてももどかしそうにする。こんなかれの表情を見たことがない。私の眉間にもシワが寄る。昨年リンホウに来て以来はじめて、ここを居心地悪く感じる。
今日のイタダキモノ
郭さん:インゲン
曽さん:昼ご飯(卵焼き、豚肉の漬物炒め、ご飯)
カンペイちゃん:真空パックの肉
若深さん:卵2個