広東省東部快復村調査旅行
2003年7月11日
4コ目の村のデータ
医院名称:掲東県西坑医院
電話:0663-3311762
設立:1956年4月
郵便番号:515561
院長:鄭樹通
村長:囉癒居
村内電話:―
住所:広東省掲陽市掲東県地都鎮西坑医院
村人数:99名(最大585名)
平均年齢:70.2歳
生活費(月/人):140元(約2100円)
医療費:50元(約750円)
医師:?
結婚状況:3組
掲陽へ
6時15分、掲陽行きのバスに乗り込む。朝ご飯は温院長にもらった袋いっぱいの肉まん。お腹いっぱいになってぐっすり眠ると8時50分、掲陽に着いていた。すぐに掲東県西坑医院の鄭院長ら職員が迎えにきてくれる。鄭院長はバンから降りるなり私たち3人と握手する。
素晴らしい施設
村に着く。規模は小さい。村全体を壁が囲んでいる。2階建てのコの字型の建物だ。他にも長い長屋がある。水洗トイレがある。シャワー室が3・4コある。ガスまである。さらに村人に後遺症が全くない。子供までいる。みな表情が異常に明るい。
(これはワークキャンプの必要は全くないな…)。
そう思ったのも無理はない。ここは村ではなく、病院だったからだ。ここにいる人々は医院の職員だ。快復者が住む村はここからさらに山奥に入ったところにある。
壊れた発電機
院長、医院の職員と村長が訴える、
「村の電気は水力発電でまかなっている。しかし今の季節は雨が少なく、発電ができない。見てくれあの川を。水が少ないだろ。1日に4時間しか電気が使えないんだ」。
院長は小型水力発電機を買いたいという。現在のモノは30年以上経っており、壊れているそうだ。費用は30~40万元(約450~600万円)だ。
村へ
村もかなりキレイだ。各部屋に浴室がある家屋もある。水道もある。村人は99名。生活費は1人あたり1ヶ月140元(約2100円)、医療費は50元(約750円)だ。ただし、義足は自腹を切ったという。1本が1000元(約1万5000円)だったそうだ。そして、電気は1日に4時間だけ、晩にしか使えない。
歩く人民元
院長と医院の職員、村長、林さんと欧さんは先に行ってしまった。私は、仙人のようなある村人が気になり、話しを続ける。名前は李木森さん。携帯電話の番号を教えてくれた。
「ワークキャンプで発電機を新しくしたいと思っています。1日に4時間しか電気が使えないんですよね」。
白髪がきれいで血色のいい白い肌の李さんに言う。
「そうなんだ。電気がないと不便だ。…でもな、発電機は壊れていないぞ」。
李さんは声を潜めてそう笑う。アメリカ人が寄付した高性能の発電機はとても調子がいいという。
驚く私に彼は声を潜めて言う、
「カネだ、カネ。このことは秘密だぞ」。
ここで医院の職員が私を探しに来た。電気が1日4時間しかない理由は謎のままだ。
*
傷を持っているという村人が木陰で涼んでいる。医院の職員は彼の写真を撮るようにと私に言う。村人にカメラを向けると職員は言う、
「靴を脱ぐんだ」。
村人が靴を脱ぐと変形した足と傷が露わになる。1、2、3、シャッターを切る。
義足の足首が見えている村人がいる。医院の職員は、写真を撮る身振りを私に向ける。
「ズボンをまくるんだ」。
医院の職員は村人にそう促す。ワークキャンプの資金集めに使えということだろう。
*
彼らにとって私とワークキャンプは、歩く人民元なのだ。林さんが書いた「今回訪問する医院のリスト」のこの病院の名前の前には「注意聯系」とあることに気づいた。「聯系」は「連携」の意味だろう。なんともやり切れない気分だ。こうなってくると、温院長にも疑いの眼を向けざるを得ない。
5コ目の村のデータ
医院名称:潯洄住院部
電話:0754-8539406
設立:1956年
郵便番号:51504(皮膚院)
院長:王建中、李佩華
村長:―
村内電話:―
住所:広東省汕頭市金平区
村人数:7名(最大200名前後)
平均年齢:70歳
生活費(月/人):220元(約3300円)
医療費:―
医師:毎週木曜日に診察
結婚状況:―
穏やかな村人
14時、汕頭(スワトウ)市に着く。汕頭市皮膚病院で次の訪問先・潯洄住院部の院長を待つ。昨日眠れなかったという林さんはうとうとしている。
14時50分、院長と会って訪問の目的を伝えると、村を目指す。約40分で着いた。この村には7棟の建物があるが、村人は6名しかいない。水道はなく、井戸水を使っている。電話もない。ガスももちろんない。住居は雨漏りがするという。集会所の屋根にはレジャーシートが張ってある。生活費は220元(約3300円)、医療費は50元(約750円)だ。
林さんが村の基本データを集めるために村人にインタビューしていると、全員の村人が集まってきた。足を切断した村人2名は自作の台車に乗っている。みんな穏やかな笑顔なのが印象的だ。ここはワークキャンプに最も適しているだろう。空き部屋がたくさんあり、キャンパーが泊まりやすい。ワークも手ごろな屋根直しだ。
林さんの執筆
16時40分、次の訪問先・潮陽市竹棚医院の院長を待つ。待ち時間、私は眠ることにする。が、疲れているはずの林さんは新しいノートを取り出し、何やら書き始めた。「7月9日」という文字が見える。今回の旅の記録のようだ。彼はメモなどを見ず、サラサラと書き進めていく。