広東省東部快復村調査
2003年7月12日
6コ目の村のデータ
医院名称:潮陽区竹棚医院
電話:0661-3822535
設立:1966年
郵便番号:
院長:郭
村長:―
村内電話:―
住所:広東省汕頭市潮陽区
村人数:65名(最大200名前後)
平均年齢:65.5歳
生活費(月/人):200元(約3000円)
医療費:―
医師:―
結婚状況:―
山登り
7時半。潮陽県竹棚村のふもとに着く。村は山のてっぺんにある。
「あそこに松の木が1本立っているのが見えるだろ。ほら、あそこ、あそこ。村はそこにある」。
医院の職員が指差すはるか先に、小さな1本の木の黒い陰が見える。
かなり険しい斜面だ。狭い道なので車は入れない。ちょっとした山登りだ。林さんは途中で木の棒を拾い、杖にする。背丈ほどもある草のトンネルをくぐったり、岩だらけの道を踏みしめながら歩いたり。途中で休憩を3度挟んで約1時間後に村に着いた。林さんが滑って欧さんと私が抱きとめるシーンが3度あった。
無意味な水道
比較的新しい、キレイな建物が建つ村だ。全部で6棟ある。ガスもある。水道もある。汗だらけの顔を洗おうと蛇口をひねる。が、出ない。
「以前は使えたんだが、今は壊れていて使えないんだ」。
村人たちはそう訴える。現在は井戸水を使っているという。
ふもと価格、頂上価格
村人は全員で65名。足の裏に傷がある人はそのうちの80~90%だ。足を切断した人はいない。医師は2・3日に1度来るという。生活費は1人につき1ヶ月200元(約3000円)だ。リンホウに比べればよい方だ。ただ…、
「ふもとで1元(約15円)のモノがここでは1.5元(約23円)なんだ」。
そう村人は憤る。確かに50分ほどかかる山道を登ってモノを売りにくる人は大変だ。1.5倍で売りたくなる気持ちも分かる。少しでも安く買うため、村人はふもとまで買い物に行くという。
ところで、水道をワークキャンプで直すとしたら、いくらになるのだろうか。
「6万元(約90万円)以上だな。ふもとでは3万元(約45万円)程なんだが」。
黄門様
林さんは何かに似ている。しかし、イマイチ思い出せなかった。今日、わかった。杖をついて山道を下る彼の後ろ姿を見てひらめいた。
水戸黄門だ。
黄門様がハンセン病の村を調べて歩く旅に従う欧さんと私は、助さん格さんだろう。この中国の御老公の決め台詞は、
「困ったことがあったらいつでもHANDAに連絡しなさい。遠慮することはない」。
村人にHANDAの連絡先を教えて、そう言い残すと、黄門様は次の村へと旅立ってゆく。
7コ目の村のデータ
医院名称:大東医院
電話:0754-5751632
設立:1957年3月17日
郵便番号:
院長:李施慶
村長:唐紹凱、王華東
村内電話:0754-5307336
住所:広東省澄海市樟林鎮
村人数:12名(最大100名)
平均年齢:50歳以上
生活費(月/人):130元(約1950円)
医療費:―
医師:―
結婚状況:―
ヤンカン村ワークキャンプの準備
12時半、澄海市大東医院でジエシャンが来るのを待つ。この街に住んでいる彼女は2時前後に来る。
ふと、ヤンカン村のワークキャンプの準備を思い出した。中国側総リーダーのトンビンの携帯電話にメッセージを送り、参加者を募るようにお願いする。6月29日にヤンカン村を訪れた人を中心に声をかけてみるように頼んだ。
「もうみんなに連絡したよ。今のところ5人が来ることが確定してる。他の人は返事を保留してるよ」。
昨夜はワークリーダーのジエチオンにワークの準備の進捗状況を尋ねてみた。
「だいたい予算は把握できたよ。あとは(ヤンカン村のある)清遠市の物価を確認するだけ」。
私が何もしなくても、彼らが準備を進めてくれる。頼もしい友達を持った。
2人の姉は日本軍に殺された
13時半、ジエシャンはまだ来ない。林さんはさっきから時計をチラチラ見ている。と、ジエシャンからメッセージが入る、
「今からうちを出るわ」。
悠長な子だ。とっとと来い。しかし、考えようによってはいい機会だ。林さんと話ができる。彼は休む間もなく村を訪問し、夜は会計の仕事を終えると早々に寝てしまい、今まで満足に話したことがない。
―なぜ、『苦難不在人間』を書こうと思ったんですか。
林さんはニコッと微笑むとボールペンを走らせる。話と言ってもまだまだ筆談中心だ。
「ハンセン病の苦難を多くの人々に知らせるためだ」。
―家族の反対はなかったんですか。
「私は1人だけだからな。家族はいないんだ!恐れる必要はない!」
訊いてはいけないかなと思いながらも、訊いてみる、
―何でですか?
「小さい頃、父母兄姉は皆死んだ!」
ドキッとする。
―鬼子にですか?
「2人の姉はそうだ!兄弟が死んだ原因にも少し関係がある」。
―日本国籍を持つ者の1人として謝ります…。
「日本にはとてもたくさん愛と平和の人がいる!」
そう書くと林さんは満面の笑みでノートとボールペンを私に勢いよく返した。
村の状況
14時15分ごろ、ジエシャンが来た。途端に元気になった林さんと欧さん、一緒についてきてくれた汕頭(スワトウ)市皮膚病院の職員の李さんは村に向かって出発する。山道を4・5分行くと着く。
村の建物はキレイだ。築3年の白壁の平屋だ。建設費は村の畑を売って賄ったという。トイレ、貯水タンクと水道がある。室内には扇風機、テレビ、電気炊飯器がある。12人の村人全員がテレビを持っているが、大半は壊れているそうだ。
生活
村人が興奮してジエシャンに訴える、
「3ヶ月前まで、生活費の支給は20~30元(約300~450円)だったんだ!」
彼はコツンとコンクリートの床を叩く。足の傷が悪化した彼は立つことができない。7年間腎臓に問題がある。ところが、医者はいない。村人は村の外の病院に行き、自腹を切らなければならない。
現在村の生活費は1人あたり1ヶ月130元(約1950円)だ。その他の収入としては、村に2本ある「ンポエ」という木の実の売上がある。しかし、村人はこの木を借りるためにお金を払わなければならないという。
ここの村人の表情は明るくはない。怒りと絶望で満ちている。去年9月のリンホウのようだ。
ジエシャンにワークキャンプの必要があるかどうかを尋ねてもらう。
「いらん、いらん」。
村人は口をそろえて言う。確かに建設の需要はない。しかし…。
南澳へ
南澳県麻風村は南澳島という島にある。16時半、フェリーで島まで行く。船から埠頭を見下ろしながら思う、
(昔、ここから島の療養所に隔離されていった人がいたんだろうな…)。
島に着く。海沿いの崖に沿う舗装された道。道沿いに植えられた並木の間からは青い海が見える。日本の国立ハンセン病療養所・長島愛生園を思い起こさせる。明日、村を訪問する。