2016年、「蘇」
2016年も12月となりました。
今年、僕は「蘇」という漢字を個人的テーマとして生きてみました。
これまでを振り返り、自分の中にあったであろう様々な良い点を「よみがえらせる」という意味です。
早寝早起きの習慣が戻りました(もはや夜更かしして仕事しても効率悪い上に、翌日使い物になりません)。
家事を手伝う習慣が戻りました(子供のころ、よく兄弟4人で、茶碗洗い、すすぎ、拭き、しまいを分担したものです)。
朝錬の習慣が戻りました(かつてはこっそりバスケの練習、今は小走りをしてます)。
自宅での晩酌をやめました(特別なときを除き)。
禁煙は続いてます(これは昨年の3月21日、偶然ですが母の誕生日からでした)。
体重が65キロに戻りました(マックス70キロでした)。
ブログを書く習慣はまだ戻っていませんが、すこーしだけ戻りつつある感じです。
「そういえば長男だった」と気づき、一族大集結の旗振りをしました(普段は実家は平塚、妹は新潟、弟は神戸、僕は広州とバラバラです)。
ご無沙汰していた祖母にあえました。
仕事時間を全部記録・管理するようになりました(かつて自分の時間をいちばん管理していたのは浪人時代です)。
中国に来たばかりで財布を盗まれて以来、財布を持っていませんでしたが、復活させました。
そして、精神的な余裕と、未来のことを考える余裕を取り戻しました。
何だか、ここ数年にはありえない、充実した一年でした。
同僚や友人、家族、JIAを支えて頂いている皆様にに心から感謝致します…。
絵
うちの子らは絵を描くのが大好き。
ほっとくと一日中、ずーっと描いてたりする。
平塚ロータリークラブと村へ
平塚ロータリークラブのメンバー5名と広州の学生3名が村に到着。
広州から2時間半の道のり。
まずは村をぐるり一周して、村人にあいさつ。
その後、村人の甘さんのうちで鍋を囲む。
鍋の後は村人の謝さんが白酒に(焼酎)を少し飲ませてくれた。
夜は広州に戻り、JIAのOG/OBも交えて食事。
クラブのメンバーの1人の話では、村での滞在時間は短く、僕がよく話す村人の「生き様」にまでは触れることができなかった。
ただ、学生やOG/OBからは感じたことがたくさんあった。
来年2月、平塚ロータリークラブはJIAの中国人職員とボランティア5名を平塚に招き、平塚の高校生との交流会を開催する。
「なぜボランティアをしようと想ったのか。そこから何を学んだのか。これから何をしていこうと想うのか。それらを、高校生たちに直接語ってほしい。高校生たちがどんな反応をするのか楽しみ」。
そんな言葉を残し、ロータリークラブのメンバーは日本に帰って行った。
平塚ロータリークラブ、来中
昨日、地元・平塚のロータリークラブのメンバー5名が広州に到着した。
JIAへの支援金を手渡し、JIAの活動地である中国のハンセン病快復村を訪れるためだ。
始まりは2014年5月29日。
同クラブの例会にて、活動を紹介する機会を頂いた。
内容は主に、2013年8-10月に深セン和僑会にお世話になって制作した「ドリームプランプレゼンテーション」(http://drepla.com/)のアップデート版。
その時はまさか、クラブの皆さんを広州にお迎えするとは思ってもみなかった。
2014年以来、平塚ロータリークラブは、中国に社会復帰したこともある鹿児島のハンセン病快復者の小牧義美さんや、
JIA取材をしてくださった毎日新聞の隅俊之さん、朝日新聞の高木智子さんに講演を依頼し、ハンセン病について勉強を重ねた。
そして今日、広東省仏山市高明区にある譚山村(ハンセン病快復村)を訪れる。
昨日のオリエンテーションでは、「ハンセン病快復者と活動参加者の間に相互成長がある」という点に共感を頂いた。
継続的な活動により、ハンセン病快復者は「自分自身への差別心」を減らして行き、
活動参加者は、ハンセン病と共に生きてきた快復者の生き様に打たれる。
*
それにしても、昨夜はよく笑った 笑
オリエン後の食事会では、明日同行する中国の学生2名を含めて、笑い通しだった。
お父さんたちのエネルギーはすごい。
蘇振権(ソウチンクワン)の味
今日の昼メシ。
うちの事務所の下にある潮州料理屋さんで12元(190円くらい)のミミガーごはん(油多し)。
それはどーでもいい。
肝心なのは、隅に乗ってる唐辛子味噌!
これが、リンホウ村のチンクワンさんのつくる唐辛子味噌とほぼ同じ味…。
2008年以来食べることのできなかった味に、先月再会した。
それからは、弁当のない日はここで昼食。
うまい…涙
中国のキャンパーが地元紙に
『湖南日報』という新聞に、JIAワークキャンプ地区委員会長沙地区委員会の代表・タオズが取り上げられた。
90后女孩组织志愿活动 曾11次走进麻风病康复村_湖南频道_凤凰网
内容は「90後」(1990年代生まれ)の女の子がボランティアで11回もハンセン病快復村を訪れた、というようなもの。
前の学期に取材が少しずつ始まり、その後ずっと音沙汰なかったが、先月末、突然、各紙が報道を初め、彼女が学ぶ大学の学長とあったりと、随分と大事になってきた。
今日もこれからまた別の新聞の取材を受けるという。
この大学では、先生たちからJIAの活動は「ねずみ講団体」と呼ばれ、活動参加者募集で校内に公式にブースを出すことができないでいた。
公認団体ではないため、活動に参加しても点数にならないのに、それでもたくさんの学生が熱心に活動するため、そのような誤解を生んでいるようだ。
今回の一連の報道で、学校側の態度は相当軟化するのではないかと思われる。
「ただ、私個人に焦点が当たりすぎているのが気になる」。
今日の取材では学校の他の活動参加者や長沙地区の他の大学のメンバーのことも強調したいとタオズは意気込んでいた。
クリスマスイベント
今年6月、JIAのOBの紹介で『拙見』という、中国版TEDみたいな会で、JIAの活動について約500人の観衆に話す機会があった。
『拙見』の司会者の田延友さんは僕が話した後に言う、
「JIAの活動を支えたい。口先だけでなく、行動で示したい」。
それから約5ヶ月が経つ頃、田延友さんから連絡があり、12月25日に、JIAをサポートするための特別版『拙見』を開催してくれるという。
JIAのOB会がちょうど、クリスマスイベントを企画していたところだったので、共催ということになった。
『拙見』が働きかけ、『拙見』に出演したことのある人たち21人がこのイベントの発起人になってくれた。
このイベントでは、JIAのためにオンラインでの寄付も呼びかけられる予定だ。
今日はその寄付サイトに載せる映像を撮るために仏山市南海区紅衛村(ハンセン病療養所)にきた。
林志明さんが取材に応じてくれた。
林さんは独学で書画を学び、日本で個展を開いたこともある。
それにしても、少し見ない間にみんな歳をとった…。
林さんも、孔さんも、馬さんも…。
陳ばあさんのうちでは懐かしい写真や時計を見つけた。
どちらも2003年のものだ…