平和運動としてのワークキャンプ
FIWC関東委員会は2002年以来中国のハンセン病快復村でワークキャンプを行っている。中国人が中国の村で活動を継続的に行うため、2004年には「家」と書いて[jia]と読むNPOを広東省広州にて設立した。現在では広東省、広西壮族自治区、湖南省、湖北省、海南省のハンセン病快復村約50ヶ所でワークキャンプを開催している。
この17年の間に活動を組織・参加したキャンパーは延べ2万人、会費を納めているOG/OBは1200人いる。2015年12月からは「家」の事務局長が中国人の顔循芳(シャオヤオ)となった。今年度からは組織の資金調達の役割もOG/OBに任せる方針が採られている。活動を中国に根付ける仕事は最終段階に来た。
今夏も日中合同ワークキャンプが中国のハンセン病快復村で開催された。FIWC東海委員会は来ることができなかったが、九州委員会と関東委員会から日本人学生が参加した。毎回、日本からくる学生たちには広州で会い、活動の歴史について話すことにしている。
今回、その準備をしていて、ふと気になったことがある。1949年に開催された「『ヒロシマの家』建設ワークキャンプ」とは何なのか。
いつもはさらりと触れるだけだった。原爆を落とした国のフロイド=シュモーというクエーカー教徒がワークキャンプを開催し、その活動に日本人学生が参加するようになった、と。しかし、具体的なことは何も知らない。フロイド=シュモーはどんな人間だったのか。どんな想いで日本にやってきたのか。
以前、FIWC関西委員会の柳川義雄から『ヒロシマの家-フロイド・シュモーと仲間たち』という「シュモーに学ぶ会」がつくった本をもらっていたことを思い出す。
読めば読むほど、引き込まれていく。そして、この言葉に出逢う―
HOUSES FOR HIROSHIMA
WORK CAMP PROJECT
1. To build understanding –
2. By building houses –
3. That there may be peace
祈平和
ヒロシマの家建設キャンプ中、この言葉が板に書かれて掲げられていたという。
そうだった。そもそも、我々の活動は、平和運動だった。
第一次世界大戦後、ベルダンで開催された世界初のワークキャンプは、「Peace, not by words, but deeds」だった。「FIWC関西の慣習法」(1972年)を改めて読み返すと、今村忠生はワークキャンプを「国家を超える平和の自願軍」としている。2001年に中国にワークキャンプをもたらしたカン=サンミン(姜相敏、韓国ピースキャンプ)に活動の目的を訊いたときも、彼は「World peace」と独特な笑顔と共に語った。
中国での活動の系譜には、これらの先輩たちがいる。そして、この活動が、インドネシア、インド、ベトナムに伝わり、現地の人々の間に根差している。インドネシアではFIWC関西委員会の高島雄太がJALANを設立。インドではついにインド人大学生の活動参加が実現した。
2019年9月5日、ある国有企業の副総裁と青島で出あう。1961年生まれの彼は抗日戦争を戦った父を持つ、剛毅な紳士だ。
「お前たちの中国での活動は、民族感情に変化をもたらしている」。
むすび便り掲載記事
『ヒロシマの家-フロイド・シュモーと仲間たち』(シュモーに学ぶ会)より