中国の大学で活動参加者募集
広東外語外貿大学にて、リンホウ村キャンプ参加者の募集を行う。
詹学涛(4年生)は日本語、英語、韓国語、北京語、広東語、潮州語、客家語ができる。彼の友達がヴィヴィアンの友達だったため、今回会うことができた。張海金はハンセン病のことを知っていた。彼女の家族に医者がいるからだとか。キャンプにかなり興味を持ったようだが、家族の反対を心配していた。
「ハンセン病がうつることを心配しないのか」「シャワーはないのか」「村人は何人いるのか」などの質問が出た。
外貿大学休みは1月18日から2月末まで、7月6日から8月末日までだそうだ。彼らはみな4年生で、11月中旬は実習と称して中山市に遊びに行くので、参加は難しいとのことだった。
最後に西尾さんが「日程が決まったら来てください」というと、一同複雑な笑みを浮かべてうなずいていた。
宋亜梅は東京と富士山に行ったことがある。「中国でボランティア活動をしてくれてありがとう」という、上智大学の私費留学生・王川と同じ反応をしていた。彼女によると、中国の学生でボランティアをする人はいないという。学生は時間もないのだそうだ。
HANDAのオフィスにて、Dr. 楊理合に中国のハンセン病の状況を英語で教えていただく。
Dr. 楊は、世界に14の支部を持つIDEAの中国コーディネーターで、1996年HANDAを設立した。40年以上ハンセン病に携わっている。
中国のハンセン病は2000年の歴史を持っているが、政策としては1960年に始まった。1982年以前は隔離、以後はMDTによる早期発見、早期治療、在宅治療がなされている。1950年から2001年までに50万人の患者が発見され、現在陽性の患者は6325人となっている。
楊先生は1960~1966年、6年間リンホウ医院で働いていた。現在14名すべてが陰性だが、後遺症による障害に苦しんでいる。(ヤンカンもすべての人が陰性。)
早期発見、早期治療により患者は減少したが、その50%が家も身寄りもなく、あるいは家族がその社会復帰を拒否している。差別は特に田舎で強い。情報や教育の不十分さからくる非科学的差別だ。都市では学校教育、新聞、TVによる啓蒙活動や、医学の発達に伴う薬の開発により差別は減ってきている。
中国のハンセン病は広東省に最も多く、62の村に94000人の患者がいる。Dr. 楊はうち30の村を回っている。その中で陽性患者は8人のみ。以下、江蘇、山東、雲南、四川と南部諸省に患者が多い。
HANDAは回復者に対し、4つのリハビリを行っている。経済的・社会的・肉体的・そして心理的リハビリだ。これらのリハビリを完遂することによってStigmaを消し、回復者の社会復帰を促し、一般社会と統合することがHANDAの最終目的だ。このリハビリが不足しているために、現在回復者は村にとどまっているのだ。
最後に楊先生は「森元さんによろしく。彼はVery, very, very nice! 今回は来てくれてありがとう。Stigmaをやわらげるのにとても有効だ」と3回握手し、”See you”といつまでも両手で手を振りながら、マイケルの運転するHANDAの車で去っていった。